1972年(昭和47年)5月15日の復帰からちょうど50年を迎える沖縄県。かつては琉球王国としての歴史と文化を有し、アジアの中で独自の存在感を放っていました。
明治期に沖縄県から購入した品々に加え、その後の寄贈品も含めて日本有数の琉球コレクションを有する東京国立博物館で、琉球をテーマにした過去最大規模の展覧会が開催中です。
東京国立博物館 平成館 特別展「琉球」会場入口
展覧会は、第1章「万国津梁 アジアの架け橋」から。琉球王国は今の沖縄県から奄美諸島にかけてかつて存在した国家で、アジア各地を結ぶ中継貿易の拠点として繁栄しました。
カラフルなふたつの水差しは、中国明時代の末頃に現在の福建省あたりで焼かれた「華南三彩」の水注です。ともに、ノロ(神女)をつとめた旧家に伝わったもので、中国との活発な交流が伺えます。
(左から)《三彩鴨形水注》中国 明時代 16世紀 / 《三彩鶴形水注》中国 明時代 16世紀[ともに全期間展示]
目を引く大きな鐘は、琉球の繁栄を刻んだ梵鐘です。かつて首里城の正殿に懸けられていたと伝わるもので、琉球王国は船の交易によってアジア各地を結ぶ「万国津梁」(万国の架け橋)であると銘文が刻まれています。
重要文化財《銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)》藤原国善作 第一尚氏時代 天順2年(1458)沖縄県立博物館・美術館[全期間展示]
第2章は「王権の誇り 外交と文化」。1470年からおよそ400年間にわたって琉球を治めたのが琉球国王尚氏です。中国の明・清の冊封を受けて王権を強化したほか、17世紀初めの薩摩島津氏の侵攻にも対応し、安定した統治のもとで琉球の芸術文化が開花しました。
大きな金銅製の簪(かんざし)は、聞得大君が所持したと伝わるもの。聞得大君は、五穀豊穣や王府の安寧を祈願する祭祀を司った神女組織のなかで最高位の神女。歴代の王妃や王女が就任しました。
沖縄県指定文化財《聞得大君御殿雲龍黄金簪》第二尚氏時代 15~16世紀 沖縄県立博物館・美術館[全期間展示]
展覧会の目玉といえるのが、国宝の「尚家宝物」。色とりどりの玉で飾られた「玉冠」をはじめ、王族が身につけた衣裳や刀剣、首里城を華やかに彩った漆器や陶磁器などで構成され、2006年に沖縄県で初めて国宝に指定されました。
第3章は「琉球列島の先史文化」。琉球列島は日本や中国だけでなく朝鮮半島、台湾、東南アジアとも関わりが深く、豊かな海によって独自の「貝の文化」が育まれました。
ジュゴンの骨でつくられた《蝶形骨製品》は、沖縄の先史文化を代表する装身具。ジュゴンが生息するサンゴ礁の海は海産物が豊かな海で、当時の人びとが海の恵みを活かして暮らしていたことを示しています。
(左手前)《蝶形骨製品》縄文時代晩期 前1000~前400年 沖縄県読谷村吹出原遺跡出土 沖縄・読谷村教育委員会
第4章は「しまの人びとと祈り」。琉球独特の文化のなかで、女性が祭祀を司ることは特徴的です。姉妹が兄弟を霊的に守護するとされる沖縄地方の信仰「おなり神信仰」に通じるともいわれています。
《神扇》は、祭祀を執り行うノロ(神女)が用いる大形の扇。ノロは首里王府から任命され、王国の支配を宗教的な側面から支えました。
(左手前)《神扇》江戸時代または第二尚氏時代・19世紀 東京国立博物館[展示期間:5/3~5/29]
第5章は「未来へ」。1972年(昭和47)に復帰して以降、沖縄はその歴史と文化を未来につなぐ努力を続けてきました。
「琉球王国文化遺産集積・再興事業」では王国時代の手わざを復元し、さまざまな文化資料が模造復元されました。
《模造復元 朱漆巴紋沈金御供飯》製作者:高良輝幸〔木の工房 杢陽〕、諸見由則〔(株)漆芸工房〕、前田貴子・前田春城〔琉球漆紀行〕、宇良英明 平成30年度[原資料]第二尚氏時代 17~18世紀 沖縄県立博物館・美術館[展示期間:5/3~5/29]
沖縄のシンボルといえるのが首里城です。14世紀後半頃に創建され、政治・外交の中心としての機能のほか、王国の祭祀儀礼や祈りの場としての聖地でもあります。
首里城は長い歴史の中で何度も焼失しており、太平洋戦争中の沖縄戦で甚大な被害を受けたほか、2019年の火災は記憶に新しいところ。再建に向けた動きも活発化しています。
《大龍柱(旧首里城正殿前)》第二尚氏時代 康熙50年(1711) 沖縄県立博物館・美術館
古琉球時代の交易の様子を伝える出土品や歴史資料から、琉球王国の伝統的な技を今日に復活させた模造復元作品まで、琉球・沖縄の文化を俯瞰する展覧会です。
東京国立博物館の後は九州国立博物館に巡回します(7/16~9/4)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年5月2日 ]