3000年間に30の王朝があった古代エジプト。支配者であるファラオ(王)は、必ずしも全時代を通してエジプト全土を統治していたわけではありませんが、ピラミッドが造られた時代(約1000年)のファラオは、強大な権力を握っていました。
ピラミッドはそのスケールゆえに、現在でもSFまがいの珍説が唱えられる事がしばしば。展覧会では現在判明している事実を積み重ねる事で、その実像に迫っていきます。
まず最初にピラミッドの模型や、発掘された道具類を紹介。意外なほど一般的な道具が用いられており、特別な技術で造られたわけでは無い事が分かります。がっしりとした体格の黒い座像はカフラー王。父のクフ王、息子のメンカウラー王とともに、ギザの三大ピラミッドを築きました。
第1章「ピラミッド建設とその技術」、第2章「ピラミッド時代のファラオたち」 動画の最後はカフラー王灼熱の砂漠で、ムチで叩かれながら強制的に大きな石を運ばされる奴隷たち…。映画などでお馴染みのピラミッド建設のイメージですが、近年の調査でこの説は否定されつつあります。
作業者には住宅とともに十分な食料が提供され、怪我をしたら治療も受けていた事が判明。実際の作業者は奴隷ではなくパートタイムで雇われた農民であり、ピラミッド建設に関わる事で、ファラオとともに来世にいけるため、農民にとってもやりがいがある仕事だったのです。
会場の中ほどには神官や書記、建築家、そして一般の作業者を象った像も紹介。ファラオを頂点とした、まさに「ピラミッド型」の組織が機能していたからこそ、巨大建築が可能だったのです。
第3章「ピラミッド時代を支えた人々」古代エジプト人にとって、来世は黄金に輝く桃源郷でした。
美しい彩色が施されているのは、アメンエムペルムウトの木棺のうちの内側の棺とミイラ・カバー。描かれているのは古代エジプトの宇宙観を示した図や「死者の書」の挿絵などで、以前は墓の礼拝室に壁画が描かれていましたが、時代が下るとこのように木棺に図像が描かれるようになりました。
実はこの木棺はリサイクル品。元々アメン・ラー神の神官で「アメン・ラー神の父」の称号を持つ人のために作られましたが、同じ称号を持つアメンエムペルムウトが自らのものとして再利用したのです。足元で色が変わっている部分が、名前を書きかえたところです。
《アメンエムペルムウトの彩色木棺とミイラ・カバー》展覧会のビジュアルで大きく使われている《アメンエムオペト王の黄金のマスク》は、会場最後に登場します。ツタンカーメン、プスセンネス、そしてこのアメンエムオペトのマスクが、古代エジプトの3大黄金マスク。エジプトにおける文化財の取扱いは徐々に厳しくなっており、現在、ファラオの黄金のマスクの中で、エジプト国外での展示が許されているのはこの作品のみです。
金の板を打ち出して作られた《アメンエムオペト王の黄金のマスク》。コブラが付いた頭巾を被った王は、あごひげが無い事もあってすっきりした顔立ちです。眉や目などはガラス象嵌でつくられています。
《アメンエムオペト王の黄金のマスク》展覧会開幕直後には、ツタンカーメン王の墓から未知の部屋が見つかり、「絶世の美女」ネフェルティティの墓か?のビッグニュースも。まだまだ解明されていない部分も多い古代エジプトの世界、その深淵なる世界の一端をお楽しみ下さい。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年10月15日 ]■黄金のファラオと大ピラミッド展 に関するツイート