平安時代の仏教僧、最澄(767~822)。今年は没してから1200年の大遠忌となります。
これを記念して、日本天台宗の開宗から江戸時代に至るまで、天台宗の歴史を幅広く紹介する展覧会が、東京国立博物館で開催中です。
東京国立博物館 特別展「最澄と天台宗のすべて」会場
図録は年代順の6章構成ですが、会場の展示順は異なります。ここでは会場の順番でご紹介しましょう。
中国・隋時代の天台大師智顗(ちぎ)によって開かれた、天台宗。鑑真がもたらした経典から智顗の教えを学んだ最澄は、延暦寺を創建。後に天台宗は日本で正式に公認され、発展していくこととなります。
国宝「聖徳太子及び天台高僧像」は、現存最古の最澄の肖像画を含む、大変貴重な平安絵画です。全10幅が同時公開されるのは11月2日(火)から11月7日(日)までの6日間のみですが、他の期間も複製が展示されるので全体像をお楽しみいただけます。
(右)国宝 聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 最澄 平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵[展示期間:10/12~11/7]
この章「最澄と天台宗の始まり ― 祖師ゆかりの名宝」では、こちらもお見逃しなく。最澄の弟子・光定が、戒(かい)を受けた僧であることを示す公的な証明書です。
書いたのは嵯峨天皇で、さすがは空海とならび称される三筆の一人、気品に満ちています。
国宝 光定戒牒 嵯峨天皇宸筆 平安時代・弘仁14年(823) 滋賀・延暦寺蔵
続いて「教えのつらなり ― 最澄の弟子たち」。最澄の後を継いだ弟子たちも、それぞれに活躍の場を広げていきました。
慈覚大師円仁や智証大師円珍らは長安を目指し、天台密教の基盤を構築。相応や安然が山中の聖地を巡る修行、回峰行を創始し、密教を取り入れた日本独自の展開を見せていきます。
ここは延暦寺の 護法童子立像 に注目。2018年の解体修理で、頭部から金銅不動明王立像などが発見されました。
護法童子立像 鎌倉時代・13世紀 滋賀・延暦寺蔵
護法童子立像 像内納入品 鎌倉時代・13世紀 滋賀・延暦寺蔵
次は「信仰の高まり ― 天台美術の精華」。10世紀半ば、慈恵大師(元三大師)良源は天皇や藤原氏から厚い信任を得て、天台宗は最盛期を迎えました。
鳥取の豊乗寺に伝わる国宝 普賢菩薩像 は、平安時代の普賢菩薩像を代表する名品。普賢菩薩は白い身体で描かれる事が多いですが、こちらは身体は黄白地で、衣は截金文様で覆いつくされています。
国宝 普賢菩薩像 平安時代・12世紀 鳥取・豊乗寺蔵[展示期間:10/12~10/31]
第2会場に進むと「教学の深まり ― 天台思想が生んだ多様な文化」。中世になると、天台宗では日本の神々は仏が姿を変えたものとする本地垂迹説のもと、比叡山の鎮守である日吉山王社への信仰が盛んになります。
延暦寺蔵の重要文化財 山王霊験記絵巻 は、日吉山王社の霊験を描いた絵巻です。
重要文化財 山王霊験記絵巻 室町時代・15世紀 滋賀・延暦寺[展示期間:10/12~10/31]
続いて「現代へのつながり ― 江戸時代の天台宗」。織田信長による焼き討ちで大きな被害を受けた延暦寺の復興に尽力したのが、慈眼大師天海です。
徳川家康に仕えた天海は、没後東照大権現として神となった家康を祀る東照宮や輪王寺を日光山に整備しました。
さらに天海は、江戸に「東の比叡山」東叡山寛永寺を創建。関東での天台宗発展の基礎を築きました。
重要文化財 慈眼大使(天海)座像 康音作 江戸時代・寛永17年(1640) 栃木・輪王寺
最後の章は「全国への広まり ― 各地に伝わる天台の至宝」。見ごたえのある仏像・尊像が並びます。
「悟りに至る道は誰にでも開かれている」という『法華経』の思想を重んじた天台宗は、日本全国に広まっていきました。
瀧山寺は奈良時代に創建された吉祥寺を前身とし、平安時代に比叡山の仏泉上人永救がこの地を訪れて瀧山寺に改めたとされています。
十二神将立像 四号像 鎌倉時代・13世紀 愛知 瀧山寺
会場最後に登場するのが、像高が2メートル近くある日本最大の肖像彫刻。「厄除け大師」として篤く信仰され、50年に一度開扉される秘仏です。
慈恵大師良源は第十八世天台座主。火災で甚大な被害を受けた延暦寺を復興した、天台宗中興の祖です。
慈恵大師(良源)座像 鎌倉時代・13~14世紀 東京 深大寺
『法華経』が説く万民救済の精神をあらわす貴重な文化財が並ぶ展覧会。会期は1カ月強と、東京国立博物館で行われる展覧会にしては短めですので、ご注意ください。
東京展の後に九州と京都に巡回、会場と会期はこちらです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年10月11日 ]