靉嘔さんは1931年、茨城生まれ。東京教育大学在学中の1953年に、当時の前衛芸術運動を代表する瑛九(えいきゅう)が設立した、デモクラート美術家協会に参加。明るい色彩の油彩画で注目を集めました。
中学校の美術教師を辞めて1958年に渡米。箱の穴に指を入れて感触を確かめる《フィンガー・ボックス》や、周囲の環境を取り込んだインスタレーションで頭角を表します。
会場
1962年頃から前衛芸術運動「フルクサス」グループに参加。オノ・ヨーコやナム・ジュン・パイクらと共に活動します。
線で描く絵画を拒否して辿り着いたのが、赤から紫までの可視光線(スペクトル)を重ねる「虹」の作品。こうして1964年に「虹のアーティスト」が誕生しました。
以来、版画、絵画、インスタレーションとさまざまな手法を用いた虹の作品を発表。中には、エッフェル搭のてっぺんから地面まで虹色の帯を斜めに掛けるプロジェクト(1987年)など、大がかりなインスタレーションも行っています。
アトリウムを飾る巨大インスタレーション
本展では、「虹のアーティスト」になる前の初期の作品から、本展のために作られた新作まで網羅。会場も1階と地階の2フロアを使い、靉嘔ワールドを存分に堪能できます。
フィンガー・ボックスをはじめとした、触れて楽しむ体験型のインスタレーションが多いのも特徴。会期中の毎週日曜日に靉嘔さんが会場を訪れ、展示室のどこかでオブジェクトを並び替えるというパフォーマンスも行われます。
《レインボー・エンヴァイラメントNo.7 レインボー・タクティル・ルーム+レインボー・エイムズ・ボックス》1969年
虹の作品ではありませんが、筆者イチオシの楽しい体験インスタレーションが、アトリウム奥にある《ブラックホール》。靉嘔さんも参加した前衛芸術運動「フルクサス」を始めたジョージ・マチューナスに捧げたこの作品は、手摺だけを頼りに真っ暗闇の小部屋の中を歩くというもの。極彩色の作品とはうってかわった暗黒の世界を体験できます。
高尚で現実と乖離したアートを嫌い、「プリミティヴ」なものを志向するという靉嘔さん。プリミティヴ(原始的な・素朴な・幼稚な)かどうかはともかく、馴染みやすいことは確かです。そういえば、靉嘔さんの新幹線の絵を、小学生の図工の教科書で見た記憶が甦ってきました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2012年2月14日 ]