明治28(1895)年に帝国奈良博物館として開館して以来、 127年の歴史を有する奈良国立博物館。仏教と関わりの深い古美術品や考古遺品を数多く収蔵をしています。
そんな奈良国立博物館の所蔵品を“名品展”として東京で初めて公開する展覧会が、渋谷区立松濤美術館ではじまりました。
渋谷区立松濤美術館「SHIBUYAで仏教美術」入口
会場は地下1階から。第1部は「日本の仏教美術の流れ」を5つの章に分けて紹介します。
紀元前5世紀から4世紀にインドで釈迦によってはじめられた仏教。釈迦は出家した29歳の時には「菩薩」として、35歳で悟りを開いてからは「仏陀」としてインド各地で説法をしました。80歳で釈迦が亡くなったのち、紀元1世紀の仏像造立が行われる時期まで釈迦の遺骨である“仏舎利”が仏教の礼拝対象となります。
1章で展示されている《宝篋印塔嵌装舎利厨子》 は本体と基壇で分離できるため、携帯用として用いられたものと考えられています。
《宝篋印塔嵌装舎利厨子》(右)と《厨子内板壁》(左) 鎌倉時代 1226年 重要文化財 奈良国立博物館
4世紀ごろ、インドの民間で行われた呪いの作法を取り入れて誕生したのが密教です。日本では平安時代初頭に空海が唐から密教を持ち帰ったことで広まりました。
密教では仏の降臨を願う僧侶が、仏と一体となることで、生きたまま仏になれるとされていました。
両界曼荼羅と俱利伽羅龍剣二童子象は、縦の寸法がほぼ同じことから、三幅で一組だったとみられ俱利伽羅龍剣の左右に曼荼羅を配置したと考えられています。
(左から) 《両界曼荼羅》 二幅 / 《俱利伽羅龍剣二童子象》一幅 三幅共 鎌倉時代(13世紀)重要文化財 奈良国立博物館
5章では、茶人であり実業家の益田孝が所蔵していた《辟邪絵》をはじめとする絵巻を紹介。戦前には絵巻の状態でしたが、後に掛物となったため掛け軸で展示されています。
平安時代後期には地獄に対する恐怖の裏返しや極楽往生への想いの強さから、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六つの世界)が描かれました。 国宝の《辟邪絵》が前期・後期に分かれますが、5幅揃って展示されるのは、奈良国立博物館以外では初めてです。
《辟邪絵》 平安~鎌倉時代(12世紀) 国宝 奈良国立博物館
2階の第2部「珠玉の名品たち ― まほろばの国から」では仏像・書跡・工芸を紹介。“まほろば”は優れた良い場所を意味する古語で、奈良地域の大和を表す形容に古くから使われています。
奈良では仏教が伝えられた538年(一説には552年)以降、仏像が制作され平城京遷都以降にはその数も増え続けました。 先ず紹介するのは、袈裟をまとった出家後の僧の姿で現れた如来像。肉付きの良い顔立ちや厚く堂々とした胸板は、7~8世紀半ばの唐の様式を反映したものです。
《薬師如来坐像》 奈良時代(8世紀) 重要文化財 奈良国立博物館
6本の腕の姿をもつ如来輪観音は、平安時代前期の特徴である頭・体部ともに奥行と重量感のある体付きをしています。 向かって右に並んでいる《毘沙門天立像》は鎌倉時代のもの。天界に住むインド古代の神々が仏教にとり入れられて護法神となった天部です。
飛鳥、奈良、鎌倉と各時代毎に異なる仏像の特徴を感じられます。
(左から)《如来輪観音菩薩坐像》 平安時代(9~10世紀) 重要文化財 / 《毘沙門天立像》 鎌倉時代(13世紀) 奈良国立博物館
第2章「うるわしの書」では、日本の仏教における重要な分野・禅宗の美術も紹介します。禅宗の墨僧は師から弟子へ教えを伝えるための重要な手段でもありました。ここでは、当時の世情が伝わる藤原定家の日記や臨場感の伝わる和歌懐紙を展示しています。
第2章は「うるわしの書」
私たちが仏壇で花輪や香、水を捧げる作法はインドがもとになっています。 インドの信者たちには、釈迦や高僧に様々なものを捧げる習慣がありました。これが、花輪をかたどった“華鬘”や香を焚くための“香炉”、水差しの“水瓶”を生み出しました。 第3章は「仏教工芸の粋」では、美しく装飾された仏教工芸の優品が並んでいます。
《龍頭》 鎌倉時代(13~14世紀) 奈良国立博物館
奈良の名品が贅沢に堪能できる本展。会期中、一部展示替えがあります。5月10日からの後期展示では、国宝《辟邪絵》の残りの2幅も展示されます。ぜひ会場でご覧ください。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 / 2022年4月8日 ]