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アメリカの国民的画家のひとりとして知られている、アンドリュー・ワイエス(1917-2009)。埼玉県朝霞市にある丸沼芸術の森が所蔵する、ワイエスの貴重なコレクション約60点を前期・後期に分けて紹介する「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展」が、京都のアサヒグループ大山崎山荘美術館ではじまりました。
アサヒグループ大山崎山荘美術館 外観
実業家の加賀正太郎が別荘として設計し、1996年に美術館として開館したアサヒグループ大山崎山荘美術館。今回の展覧会は、美術館の本館と建築家・安藤忠雄によって2012年に設計された山手館「夢の箱」、地中館「地中の宝石箱」の3つの展示室で構成されています。
「丸沼芸術の森所蔵 アンドリュー・ワイエス展」会場 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
挿絵画家を父にもつワイエスは、ペンシルベニア州で5人兄弟の末っ子として生まれます。幼少期から自己流で水彩や鉛筆を用いて自由な空想の世界を表現していました。
15歳の頃から父にデッサンの基礎訓練を受け、隣人の夫婦や農場など身近な題材を描くようになります。1937年、20歳の時に開催した個展で作品をすべて完売するという成功をおさめました。
22歳の時、ワイエス家の別荘のあるメイン州でアンナ・クリスティーナ・オルソンと弟アルヴァロに出会います。本館の展示室1では、ワイエスにとって作品の重要なモティーフとなる「オルソン・ハウス」の模型が展示されています。
オルソン・ハウス模型(制作:直枝康介)
2階建てとして建てられた後に、急こう配の屋根をつけて3階建てに増築された特徴のある形状をしたオルソン・ハウス。ワイエスは建物の形を気に入り、初めて訪れた日に自分の車の上で描きました。
家のたたずまいやオルソン姉弟にひかれたワイエスは、オルソン家に通うようになり、滞在中はオルソン・ハウスの2階の一室をアトリエとして使いながら、姉弟とオルソン・ハウスを描くようになります。
その時に感じたことを、その場ですぐに描くことができる水彩画に魅力を感じていたワイエス。初期の作品には、豊かな色彩と素早い筆の動きに特徴をみることができます。
第2章「オルソン・ハウスとの出合い」 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
オルソン姉弟の弟のアルヴァロは、先天性の病気により手足が不自由な姉のクリスティーナを支えながら、父親の病を機に農場や牛舎の仕事に移ります。次第に姉の症状が悪化し、アルヴァロの負担が増えるなかで、広い野菜畑は手のかからないブルーベリー畑に変わり、家屋は荒れ果てていきました。
第2章「オルソン・ハウスとの出合い」 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
ワイエスは建物の外からだけでなく、オルソン・ハウスの室内や納屋、母屋などもモティーフにしています。オルソン家にとって収入源だったブルーベリーから、扉や窓、アルヴァロが使う仕事道具のバスケットや計量器など、誰も気にとめない様なものにも興味を抱き、光と影のコントラストをつけながら作品を丁寧に描き出しました。
第3章「内観 ―外からの光」 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
作品の主なモデルとなっていたのはクリスティーナでしたが、控えめで無口なアルヴァロが唯一モデルを引き受けた時の作品も展示されています。ワイエスの鋭い観察力と画力によって、モデルの外面だけでなく内面も照らされ人物像がはっきりと現れているように感じられます。
第3章「内観 ―外からの光」 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
ワイエスは約30年にわたりオルソン・ハウスに通い、姉弟が老いて家屋も荒廃が進んでいく様子も描き続けました。
潮風によって傷んだ外壁や錆びたバケツにじょうろ、窓ガラスの割れた部分に布を押し込んだ様子まで細密に表現しています。ワイエスは外壁の羽目板を実際に数え、双眼鏡で窓の構造を確かめるなど、まるでオルソン・ハウスの「肖像画」を描くかの如く正確に記録していきました。
1967年にアルヴァロが、翌年にクリスティーナが亡くなった後にワイエスが制作した《オルソン家の終焉》習作 [通期展示]は、顔料に卵の黄身と蒸留水を混ぜた絵の具を用いるテンペラの技法で描かれています。その後、ワイエスがオルソン・ハウスを描くことはありませんでしたが、2003年に国定歴史建造物に指定され、現在でも多くの人が訪れる場所になりました。
第4章「オルソン家の終焉」 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
ワイエスの画家としての名声を高めた、1948年にクリスティーナをモデルとして描いた《クリスティーナの世界》は、20世紀のアメリカ絵画で最も有名な作品のひとつといえます。
モデルとなった時のクリスティーナは55歳。先天性の病気により歩行が困難になっていた境遇の中でも、自立心を持ち誇り高く生きるクリスティーナに、ワイエスは敬愛をしていました。
草原を這いながら進むクリスティーナの姿を見たワイエスは、鉛筆で構想を書き、人物の上半身や下半身、指の開き方までさまざまに変えながら繰り返し描写をしています。会場には、鉛筆や水彩で描かれた《クリスティーナの世界》習作が並んでいます。
第5章「クリスティーナの世界への道程」 © 2024 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5641
鑑賞の後は、2階の喫茶室へ。ワイエスが好んで食べたアップルパイや、クリスティーナがワイエスのために作ったブルーベリーパイをイメージしたスイーツを提供しています。ワイエスが夕食前に「ウォッカタイム」と称していた、スライスしたオレンジ入りのウォッカも楽しむことができます。
喫茶室で提供されているアップルパイ「Wyeth's Hometown Apples ~ワイエスのお気に入り~」
喫茶室のテラス
展覧会は前後期の展示替えを行い、12月8日まで開催中です。企画展のほかにも、常設展示しているモネの《睡蓮》連作や民藝運動にまつわる作品の展示、紅葉の見頃を迎えたころにはカエデやイチョウの情景を庭園で楽しむこともおすすめです。
クロード・モネ《睡蓮》連作は「地中館」で常設展示
[ 取材・撮影・文:坂入美彩子、古川幹夫 / 2024年9月15日 ]