群雄が割拠した戦国時代。武将たちが誂えた武具や戦着は、優れた機能性だけでなく、意匠にも独創的な工夫が凝らされ、軍の士気を高めました。
大名細川家の歴代当主が所有した武具・戦着の優品を、最新の調査結果を交えながら紹介する展覧会が、永青文庫で開催中です。
永青文庫 外観
展覧会は4階の第1章「武将のシンボル」から。細川家は室町幕府三管領のひとつとして、武門の誉高い家柄。近世においても信長・秀吉・家康に仕えており、歴代当主の甲冑53領をはじめ、膨大な武具が伝来しています。
重要文化財《白糸褄取威鎧》は、肥後細川家の遠祖とされる細川頼有(1332~91)の大鎧。細川家の「御家の宝」として重んじられ、後の時代には模造も制作されています。
重要文化財《白糸褄取威鎧》細川頼有所用 南北朝時代(14世紀)永青文庫
細川家2代・忠興(三斎、156316~45)は関ヶ原合戦など50回に及ぶ出陣を果たした歴戦の勇将。その経験を活かした具足形式が「三斎流」です。
その特徴は、軽量で簡素につくられていること。また、胴が地味な色である一方で左腰部分の草摺は鮮やかな色で飾られ、目元まで保護できる頭形兜に、山鳥の尾羽を束ねた頭立を挿しています。《栗色革包紺糸射向紅威丸胴具足》はこうした「三斎流」の典型をよく示しています。
(右手前)《栗色革包紺糸射向紅威丸胴具足》細川斉樹所用 江戸時代(19世紀)永青文庫(熊本県立美術館寄託)
第2章は「命がけのおしゃれ」。武将にとって陣羽織や鎧下着など戦着は、おしゃれアイテムのひとつ。なかでも陣羽織はしばしば奇抜な意匠が取り入れられ、武将の個性が反映されました。
白と緋色の交互の羅紗が鮮やかな陣羽織は、10代・斉茲(1759~1835)所用と伝わる品。5代・綱利(1643~1714)所用の「羅紗地紅白段模様陣羽織」の写しと考えられます。
(左から)《羅紗地紅白段模様陣羽織》細川斉茲所用 江戸時代(19世紀前半)永青文庫 / 《薄茶緋羅紗地陣羽織》細川忠利所用 江戸時代(17世紀)永青文庫
《鳥毛九曜紋付陣羽織》は、襟を除くほぼ全面に鳥の羽根を用いた珍しい陣羽織です。11代・斉樹(1789〜1826)所用とされていましたが、本展にあわせて実施した調査で、表地と裏地の間に防寒用として和紙と薄綿が挟まれているなど、より実戦を想定したつくりが判明。制作年代が遡る可能性が出てきました。
戦着をテーマとした展示は、永青文庫として初めての試みです。
《鳥毛九曜紋付陣羽織》細川斉樹所用 桃山~江戸時代(16世紀末~17世紀前半)永青文庫
3階に下がって、第3章は「武将のこだわり」。江戸時代、尾張藩の「尾張拵」、薩摩藩の「薩摩弁」など、各藩で趣向を凝らした刀剣の外装が生み出されました。熊本藩でも2代・忠興が考案した拵を手本とした「肥後拵」がつくられています。
《歌仙拵》は、忠興の愛刀「刀 銘 濃州関住兼定作」(歌仙兼定)の拵。同時に展示されている「信長拵」とともに、肥後拵の大本として知られています。
《歌仙拵》江戸時代(17世紀)永青文庫
戦国時代の戦闘の変化で、甲冑の軽量性や簡便性が重視されるようになると、大鎧に見られる重い金物は減少。それに代わるように、頭上で個性を主張する「変わり兜」が流行しました。
《紫糸素懸威鉢巻形兜》も、そのひとつ。頭頂部を長く伸ばし、結んだ鉢巻を革の張懸(はりかけ)であらわしたデザインで、渋い色合いも特徴的。細川家3代・忠利(1586~1641)所用として伝わります。
《紫糸素懸威鉢巻形兜》細川忠利所用 江戸時代(17世紀)永青文庫(熊本県立美術館寄託)
2階に下がって、最後は第4章「嗜みと教養」。武家社会では能や茶の湯が重視されましたが、細川家はその代表格です。
初代・藤孝(幽斎、1534~1610)は、能の太鼓の名人。3代・忠利は能楽師を抱え、細川家によって熊本の能楽愛好の地が築かれました。また、2代・忠興は千利休の高弟として知られ、5代・綱利、8代・重賢(1720~85)も茶杓や花入を自作しています。
《桐鳳凰蒔絵小鼓胴》は小鼓の胴。黒漆地に蒔絵や切金、朱書を用いて、鳳凰と桐を華やかに表しています。
《桐鳳凰蒔絵小鼓胴》江戸時代(19世紀)永青文庫
やや赤味を帯びた銀白色の雪の結晶のような油滴斑が無数にあらわれている美しい茶碗は、中国華北地域でつくられた、大ぶりの油滴天目。
内側には5か所、大きめの油滴斑からなる円状の模様があり、花文のような意匠になっています。
《油滴天目》中国 金時代(12~13世紀)永青文庫
それぞれの武将の美意識が反映された、個性豊かな武具・戦着たち。8月24日(火)からは、国宝《柏木菟螺鈿鞍》も出品されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年8月16日 ]