江戸時代の大名茶人・片桐石州(1605-73)。千利休の実子・千道安から茶の湯を学んだ桑山宗仙(1560-1632、左近)の晩年の弟子で、利休流の侘び茶を基盤としながら、大名らしい厳かな茶会を開き、武家茶道を確立しました。
石州の茶は江戸時代に大名や武家に広まり、幕府の数寄屋坊主を輩出するなど武家の正統として位置づけられましたが、これまではあまり注目されていませんでした。根津美術館で、石州と石州流の茶道を紹介し、その茶の世界を顕彰する展覧会が開催中です。
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根津美術館 特別展「片桐石州の茶 武家の正統」会場入口
【写真】根津美術館 特別展「片桐石州の茶 武家の正統」会場入口
展覧会は第1章「茶人・片桐石州」から始まります。
片桐石州は、戦国武将・片桐且元の弟・貞隆の子として摂津国茨木で誕生。寛永元年(1624)に石見守に叙任され、寛永4年(1627)に父の跡を継ぎ、大和国小泉藩の第2代藩主となりました。
![根津美術館 特別展「片桐石州の茶 武家の正統」会場より (左から)《茶杓 銘 時鳥 共筒》片桐石州作 江戸時代 17世紀 根津美術館蔵 / 《片桐石州像》洞月筆 真巌宗乗賛 江戸時代 明和4年(1767)芳春院蔵[展示期間:2/22~3/9]](https://www.museum.or.jp/storage/article_objects/2025/02/22/d341bd13f1e0_l.jpg)
(左から)《茶杓 銘 時鳥 共筒》片桐石州作 江戸時代 17世紀 根津美術館蔵 / 《片桐石州像》洞月筆 真巌宗乗賛 江戸時代 明和4年(1767)芳春院蔵[展示期間:2/22~3/9]
第2章は「石州をめぐる人々」。石州は寛永10年(1633)、29歳で幕府から知恩院再建の作事奉行に任じられました。
約8年間京都に滞在し、寛永文化の担い手たちと交流を深め、文化人としての基盤を築きました。任を終えた後も京都に屋敷を構え、交流を続けています。
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《米市手茶入》瀬戸 江戸時代 17世紀 不審庵蔵
石州は禅に関心を寄せ、芳春院の開祖である玉室宗珀に参禅。菩提寺・高林庵を建立し、その開山に玉室の法嗣である玉舟宗璠を迎えました。
《闘鶏図真形釜》の箱の蓋裏には「片桐石州より来る」と記されており、石州から高林庵へ譲られたことがわかります。石州と玉舟は、茶の湯を通じて交流があったと考えられます。
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重要美術品《闘鶏図真形釜》室町〜桃山時代 16世紀 芳春院蔵
第3章は「石州の茶の湯」。大名として、江戸と国許そして京都を行き来した石州は、各地で茶会を開きました。そこでは、江戸幕府の幕閣をはじめ、旗本や僧侶、町人まで幅広く招かれました。そして、小堀遠州亡きあと、彼らの後援を受け、茶匠としての地位を築き上げました。
茶会で特に多く使われたのが「夜舟」「奈良」「八重垣」の瀬戸茶入です。連会でも用いられ、この3点で使用回数の約7割を占めるほどでした。展示されている3点は、仕覆や牙蓋など豪華な付属品も見どころです。
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《尻膨茶入 銘 夜舟》瀬戸 桃山~江戸時代 16~17世紀 根津美術館蔵
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《尻膨茶入 銘 奈良》瀬戸 江戸時代 17世紀 個人蔵
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《尻膨茶入 銘 八重垣》瀬戸 江戸時代 17世紀 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション)
寛文5年(1665)11月8日、61歳の石州は江戸城黒書院で4代将軍・徳川家綱に献茶する機会を得ました。道具は将軍家の名物茶道具「柳営御物」から選ぶことが許され、これにより武家茶道の地位を確立しました。
この献茶では、床の間に《無準師範墨蹟 帰雲》が掛けられました。無準師範(1178~1249)は中国南宋の禅僧で、本書は堂額または掛物として書かれたと考えられています。
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重要文化財《無準師範墨跡 帰雲》中国・南宋時代 13世紀 MOA美術館蔵
最後の第4章は「石州の茶の拡がり」。石州の茶の湯は将軍や大名の権威のもとで発展し、江戸城だけでなく各藩でも多くの茶道職を担いました。
一子相伝の家元制度ではなく免許皆伝によって継承されたため、全国で細かく分派しながら幕末まで広まりました。石州流は、徳川政権下における武家茶道の正統といえるでしょう。
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《唐物文琳茶入 銘 宇治》中国・南宋~元時代 13世紀 東京国立博物館蔵
石州茶人の代表的な人物のひとりが、幕末の大老・井伊直弼です。日米修好通商条約に関わったことで知られる一方、茶の湯に深く傾倒し、「一期一会」という言葉に茶の本質を見出し、広めた茶人でもありました。
直弼の《入門記》は、自身の一派の創立を宣言した文書で、茶の湯の歴史を概観し、石州流が天下の師範となったことや、自らの茶がその系譜に連なることを述べています。
![根津美術館 特別展「片桐石州の茶 武家の正統」会場より 重要文化財《入門記》井伊直弼筆 江戸時代 弘化2年(1845)彦根城博物館蔵[展示期間:2/22~3/9]](https://www.museum.or.jp/storage/article_objects/2025/02/22/0e9fe0b9f1a7_l.jpg)
重要文化財《入門記》井伊直弼筆 江戸時代 弘化2年(1845)彦根城博物館蔵[展示期間:2/22~3/9]
石州は69歳でこの世を去る延宝元年(1673)まで、茶の湯に精進しました。
その生涯を通じて武家茶道の礎を築き、後世の茶人に影響を与えた石州。しかし、これまで十分に顧みられることは少なく、その功績が広く知られる機会は限られていました。
展覧会は、石州の生涯や茶の湯の実践を多角的に紹介し、その思想や美意識に迫る貴重な機会となります。石州流の茶道が築いた独自の世界観を、会場でじっくりと味わっていただきたいと思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年2月21日 ]