日本で700年続いた武士の世。武家の日常生活の中で、サムライの装身具である刀装具や印籠・根付などは、技巧を凝らした美術工芸品として発展しました。
サムライがおしゃれを楽しんだアイテムに焦点を当て、館蔵の優品を紹介する展覧会が、静嘉堂文庫美術館で開催中です。
静嘉堂文庫美術館「サムライのおしゃれ ― 印籠・刀装具・風俗画 ―」会場入口
展覧会は、第1章「サムライのおしゃれ」から。平安時代に誕生したサムライ。鎌倉時代に身分制社会の支配層になり、桃山時代には奇抜な意匠が生まれました。
冒頭に展示されているのは、蒙古襲来絵巻の模本です。当時の武家の風俗が、細かなところまで描かれています。
狩野養長《蒙古襲来絵巻 摸本 巻二》明治2年(1867)
本展の目玉が、後藤象二郎拝領のサーベル。永らく行方不明でしたが、このたび静嘉堂で発見されました。
1808年、京都で英国公司ハリー・パークスが攘夷派の志士に襲撃された際、新政府の接待係だった岩﨑彌之助の義父・後藤象二郎らが撃退。このサーベルは、感謝の印として1868年に英国ヴィクトリア女王から賜ったものです。
C.SMITH&SON《サーベル形儀仗刀 後藤象二郎拝領》ヴィクトリア朝時代・1868年
サーベルは、19世紀に欧米で流行した、マムルーク剣の形式を採り入れたスタイルです。儀式用なので刃はついておらず、中ほどに後藤象二郎の名前と事件の日付(23RD OF MARCH, 1868.)が刻まれています。
C.SMITH&SON《サーベル形儀仗刀 後藤象二郎拝領》(部分)ヴィクトリア朝時代・1868年
第2章は「将軍・大名が好んだ印籠」。さまざまな意匠の印籠がずらりと並ぶ展示室は見ごたえがあります。
印籠は密閉性の高い木製段重ね構造のケースで、もとは常備薬を入れるものでした。次第に用途を離れて上層階級のおしゃれアイテムになり、江戸時代以降に流行しました。
第2章「将軍・大名が好んだ印籠」
梶川家は、徳川将軍家の印籠蒔絵師。5代将軍の綱吉の時代に、初代の梶川常巖が大坂から召しだされて以来、明治維新まで12代にわたって仕えました。古今第一の名工とされ、将軍に直接顔を合わせる「お目見え」の高い家柄でした。
展示されている印籠の画題は、中国の故事に基づくデザインです。
梶川文龍斎《邯鄲の夢蒔絵螺鈿印籠 象牙彫根付 卓乗り唐子》江戸時代(18~19世紀)
第3章は「風俗画にみる武士のよそおい」、江戸時代の風俗画に描かれた、サムライをはじめとする人々のファッションを探ります。
重要文化財《四条河原遊楽図屏風》は、鴨川が流れる京都四条河原にできた芝居、見世物、遊興施設で遊ぶ人々を描いた作品です。近世初期風俗画の傑作として知られ、当時の風俗を知る上でも貴重です。
(左右)重要文化財《四条河原遊楽図屏風》江戸時代(17世紀) / (中央)《江戸名所図屏風》江戸時代(17~18世紀)
最後は第4章「貴人のおしゃれ ─ 重要文化財《羯鼓催花・紅葉賀図密陀絵屏風》と国宝《曜変天目》」。《羯鼓催花・紅葉賀図密陀絵屏風》は、和漢の奏楽をテーマとする画題を取り合わせた屏風です。
密陀絵は、顔料に密陀僧(一酸化鉛)を加えた一種の油絵で、漆絵では表現できない白や肌色の彩色が可能です。密陀絵の技法は、奈良時代に行われて以来、近世まで残っているものはごくわずか。しかも、このように各種の漆芸技法を駆使した華麗な大作は、非常に貴重です。
重要文化財《羯鼓催花・紅葉賀図密陀絵屏風》
印籠や刀装具は小さなアイテムですが、四季の自然、花鳥風月、人物故事などが精緻に盛り込まれており、近代においてもネクタイピンやカフスボタンに通じるおしゃれアイテムとして、世界中の美術コレクターから愛玩収集されてきました。
静嘉堂ならではの優品が揃った展覧会です。人気の国宝《曜変天目》も出品されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年6月16日 ]