アートディレクター、デザイナーとして活躍した石岡瑛子(1938-2012)の足跡を振り返る世界初の大規模な展覧会が、東京都現代美術館で開催中です。
会場入口
広告キャンペーンをはじめ、映画、オペラ、演劇、サーカス、ミュージック・ビデオ、オリンピックのプロジェクトなど、世界を舞台に多彩な分野で活躍した石岡。
展覧会ではポスターや映像、衣装など、石岡が手がけた作品のほか、デザインのプロセスを示す膨大な資料も展示。石岡のクリエイティビティの裏側にも迫っていきます。
展示風景より
構成は3章で、第1章は「Timeless:時代をデザインする」。石岡は東京出身。東京藝術大学を卒業後、資生堂に入社。入社面接では「男性と同じ仕事と待遇」を主張したと伝わります。
展示室の冒頭で紹介されているのが、前田美波里を起用したサマー・キャンペーン(1966)。社会現象と言えるほどの大きな反響を呼びました。
資生堂の仕事 より
1970年の独立後に手がけたパルコのキャンペーンも、印象的な仕事です。パルコという企業そのもののキャラクターを、クライアントと共働しながら作りあげたといえます。
パルコの仕事 より
角川書店の仕事は、同社が角川春樹のリーダーシップのもと、大々的なメディアミックス展開を広げていた時期に重なります。書斎ではなく野外で本を読むという石岡による広告は、文庫本のイメージを刷新しました。
角川書店の仕事 より
第2章は「Fearless:出会いをデザインする」。70年代が過ぎると、石岡はマンネリズムを脱するためにニューヨークへ。小さい頃から憧れていたアメリカで15ヶ月ほど充電期間を過ごし、再び現場に飛び出していきます。
ジャズ・トランペッターのマイルス・デイヴィスのレコード会社移設第一弾アルバム「TUTU」のアートワークでは、顔と手だけで表現。写真家には巨匠、アーヴィング・ペンを起用しました。
マイルス・デイヴィス TUTU より
舞台「M.バタフライ」は、フランス外交官と女装の中国人スパイの愛憎劇。石岡は舞台美術と衣装、小道具のデザインを担当。ブロードウェイでの石岡のはじめての仕事です。
演劇『M.バタフライ』(1988年)の展示風景より
「ドラキュラ」は、フランシス・フォード・コッポラの監督作品。ドラキュラの生涯を描く映画ですが、お馴染みの黒マントではなく、全く新しい世界観で表現しました。石岡はこの仕事で、アカデミー衣装デザイン賞という大きな成果を掴みました。
映画『ドラキュラ』(フランシス・F・コッポラ監督、1992年)の展示風景より
第3章は「Borderless:未知をデザインする」。アカデミー賞を受賞した石岡には多くのオファーが入るようになりますが、挑戦的な仕事に向かい続けました。
インド出身の気鋭の映像作家、ターセム・シンが監督した「ザ・セル」「落下の王国」など4本の作品には、衣装デザイナーとして参加。ターセムは学生時代から石岡の作品集『EIKO by EIKO』をバイブルとしていたほど、石岡に心酔していました。
映画『落下の王国』 (ターセム・シン監督、2006年)の展示風景より
石岡は、アクロバティックな演出でサーカスの概念を変えたシルク・ドゥ・ソレイユの3年ぶりの新作『ヴァレカイ(ロマ語で「どこへでも」の意味)』の衣装も担当しました。メタリックな効果を出すために、光沢があるフィルムを転写できる新素材を利用しています。
コンテンポラリー・サーカス『ヴァレカイ』(シルク・ドゥ・ソレイユ、2002年)の展示風景より
ソルトレイクシティオリンピックでは、日本のスポーツウェアブランドであるデサントが提供するウェアをデザイン。「アスリート遺伝子」をデザインコンセプトとし、デサントの開発チームとの協働で、最先端技術とデザインを融合させていきました。
ソルトレイクシティ オリンピックの展示より
展覧会の会場は、人間の身体の躍動感を根源に宿す「赤」がキーカラー。壁面には石岡による言葉も紹介されており、冒頭には展覧会タイトルになった「血がデザインできるか…」のワードもありました。
約半世紀にわたる情熱的な仕事を総覧できる、密度の濃い展覧会です。チケットカウンターで当日券も販売されていますが、スムーズに見たい方は各時間に定員を設けた予約優先チケットを事前にお求めください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年11月13日 ]