近年は1月~3月頃から始まる事が多かった、NHK大河ドラマ特別展。本年は兵庫会場(
兵庫県立歴史博物館)が先行したため東京展は5月からとなり、関東の大河ファンにとってはお待ちかねの開幕となりました。
会場冒頭は「プロローグ」から第一章「播磨に生まれ」。1546(天文15)年、姫路に生まれた黒田官兵衛。織田信長と毛利のどちらに付くか難しい判断を迫られますが、信長の将来性を見込んだ官兵衛は仕えていた小寺政職を説得して岐阜に赴き、信長の配下に入ります。
黒田官兵衛といえば、甲冑ファンにとってはユニークな形の兜も有名。身と蓋からなる容器である合子(ごうす)をモチーフにした官兵衛の赤い兜は、「赤合子」として戦場で敵に恐れられました。
奥の《朱漆塗合子形兜・黒糸威五枚胴具足 小具足付》は、兜は官兵衛の曾孫が模して作ったもの。胴は官兵衛所用と伝えられます。第二章は「有岡城幽閉」。ちょうど現在放映中のドラマはこのあたりです。
秀吉から「弟同然」という信頼を得た官兵衛。秀吉の軍陣を立て直すため、寝返った荒木村重を説得するために単身乗り込んだ有岡城で囚われの身となってしまいます。
絶体絶命の危機に陥った官兵衛ですが、織田方として一致団結することを妻の光(てる)に誓った家臣たち。彼らの活躍により、官兵衛は一年後に奇跡的に救出されました。会場には家臣の結束を物語る文書も紹介されています。
ドラマ前半のハイライトともいえる《黒田氏家臣連署起請文》第三章は「秀吉を天下人に」。本能寺の変で時代が大きく動く中、毛利と和睦して明智光秀を討つ事を秀吉に勧めたのは官兵衛でした。
秀吉は、清州会議を経て柴田勝家と賤ヶ岳で激突。近年発見された文書では、賤ヶ岳の戦いにも官兵衛は参戦していた事が明らかになりました。
家督を嫡子の長政に譲った後も、秀吉とともに戦い続けた官兵衛。小田原攻めを終結させた手腕は、秀吉のみならず、敗軍の北条氏直からも感謝の品が贈られています。
第三章「秀吉を天下人に」第四章は「如水となりて」。天下を統一した秀吉は朝鮮に出兵。官兵衛は肥前名護屋城と朝鮮半島を往き来しましたが、無断で帰国した事が秀吉の逆鱗に触れ、死を覚悟するまでに追い込まれました。会場にはその際に長政に宛てた直筆の遺言状も展示されています。
官兵衛はこれを機に出家して如水に。秀吉亡き後の関ヶ原では親子ともども東軍として戦い、家康の勝利に大きく貢献。激動の戦国時代において「生涯無敗」を成し遂げました。
第四章「如水となりて」 子の長政が愛用した兜は、変わり兜と典型としても有名。ウルトラ怪獣「ゴモラ」のモデルです第五章の「文雅のたしなみ」では、茶の湯や和歌にも関心を寄せていた官兵衛の一面も紹介。そしてドラマチックな演出のエピローグでは、晩年の肖像とともに、辞世の句が展示されています。
官兵衛の辞世は「思いおく言の葉なくてついに行く 道は迷わじ なるにまかせて」。59歳の生涯に思い残すことは何も無い、と達観した心情をしたためています。
第五章「文雅のたしなみ」~エピローグ大河ドラマをご覧いただいている方は、さらに深く楽しめる展覧会。見てない方は、ドラマを見たくなる事うけあいです。東京展の後は、
福岡市博物館(2014年7月26日~9月21日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年5月26日 ]※会期中に展示品の入れ替えがあります