江戸時代に活躍し、木肌とノミ痕を活かした独特の神仏像を数多く残した円空(1632–1995)。荒々しくも温かみのある造形で、独自の仏教彫刻の世界を築きました。 飛騨・千光寺に伝わる作品を中心に、飛騨の自然と円空仏の深い結びつきを探る展覧会「魂を込めた 円空仏」が三井記念美術館で開催中です。
三井記念美術館「魂を込めた 円空仏」会場入口
まずご紹介するのは「柿本人麻呂坐像」から。右手を装束の中に入れて座り、優しい笑みを浮かべた姿。奥行きは薄いものの、見事な立体感です。 柿本人麻呂(7世紀後半)は『万葉集』を代表する歌人で、三十六歌仙の一人。平安時代の『古今和歌集』の仮名序に「歌の聖」と記され、後世に神格化されました。
《柿本人麻呂坐像》東山神明神社
円空は美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、全国を巡りながら木彫の神仏像を制作しました。なんと12万体の制作を発願したともいわれ、現存するものだけでも約5,000体あります。 また『大般若経』の修復・編纂も手がけた学僧であり、1,700首の和歌を残した歌僧でもありました。
会場には、現存唯一の円空の肖像画も紹介されています。この肖像画は、弥勒寺(岐阜県関市)に伝来した円空の肖像画を模写したものです。
《円空画像》文化2年(1805)千光寺
展覧会のメインビジュアルが「両面宿儺(りょうめんすくな)坐像」。両面宿儺は大和朝廷に従わなかった飛騨の豪族です。『日本書紀』には武振熊(たけふるくま)によって退治されたとありますが、飛騨ではこの地を守護していた豪族という伝説が残ります。
千光寺では開山の祖として両面宿儺を祀っており、いつから信仰されているかは不明ですが、周辺の伝承より古いため、千光寺が宿儺信仰・宿儺伝説の発祥地である可能性は高いです。
《両面宿儺坐像》千光寺
観音菩薩は慈悲と救済の菩薩。法華経に説かれる観音の三十三応現身(おうげんしん)の数にあわせ、三十三観音信仰が広まりました。 「三十三観音立像」として並ぶ像ですが、残っているのは31体。かつては近隣の住人が病気の際に持ち出し、病気平癒を願ったと伝わります。頭体のバランスなどがすべて異なり、親しみのある個性豊かな表情です。
《三十三観音立像》千光寺
露出で展示されている大きな像は、千光寺と飯山寺(ともに高山市)に伝わる、総高2mを超える像。いずれも半裁した丸太をさらに半分に割り、木心側を像の正面としており、顔つきも似た表情。4体は同材で作られたという伝承もあります。
(左から)《護法神立像》(2軀)千光寺 / 《金剛神立像》(2軀)飯山寺
「阿弥陀二十五菩薩」は、臨終の者を極楽浄土に迎えるために来迎する、阿弥陀如来と25体の菩薩。丸みを帯びた体つきで穏やかな雰囲気の阿弥陀如来に対し、二十五菩薩は棒状で、眉・目・鼻・口は刻線で表現しています。
《阿弥陀如来坐像及び二十五菩薩立像》光円寺
インドの神話の蛇神が仏教に取り入れられると、蛇神は中国で龍になり、仏教説話に龍王や龍神が登場するようになります。 清峯寺の「龍頭観音菩薩立像」は、観音の頭部に対して非常に高い龍が特徴的。龍の目や鼻の皺、舌なども表情豊かに彫り出されています。
《千手観音菩薩立像及び聖観音菩薩立像・龍頭観音菩薩立像》清峯寺
円空仏の特徴である荒削りながらも温かみのある造形は、素朴な素材の中に込められた祈りの深さを感じさせます。
その作品がもつ魅力を存分に堪能できる展覧会。ぜひ会場で体感してみてください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年1月31日 ]