東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎(1860~1940)が創設した根津美術館。初代嘉一郎は若い頃から古美術品に関心を寄せて、熱心に蒐集。明治42年(1909)には、実業家・光村利藻が所有していた3,000点以上の甲冑・刀剣・刀装具のコレクションを、一括して購入しました。
光村コレクションから選りすぐった作品を紹介する展覧会が、根津美術館で開催中です。
根津美術館「甲冑・刀・刀装具 光村コレクション・ダイジェスト」会場
展覧会は、1章「光村コレクションとは」から。光村利藻(1877~1955、号・龍獅堂)は大阪生まれ。政商として活躍した父の逝去により、14歳で莫大な遺産を相続し、刀剣・刀装具の蒐集に傾倒しました。
利藻の蒐集はわずか10年ほどの期間でしたが、初代根津嘉一郎が買い取った時の総数は3,000点以上もありました。今でも根津美術館は約1,200件の甲冑・刀・刀装具を所蔵しています。
《光村利藻肖像写真》(右)明治30年代頃 (左)明治40年(1907) 光村芙美子氏寄贈
2章は「甲冑 ― 蒐集のはじまり」。利藻の蒐集は、長男の初節句が契機でした。床飾りのミニチュアの甲冑に満足しなかったことから、出入りの道具屋から本物の甲冑と陣太刀を購入。これが、後の膨大な蒐集に繋がりました。
現在、根津美術館には甲冑、兜、面具など、28件が伝わります。保存箱には武具専用のラベルが貼られて整理されていることから、刀剣や刀装具ほどではないにせよ、利藻は甲冑類の蒐集も進めていたことが分かります。
(左から)《浅葱紺糸威胴丸具足》江戸時代 18~19世紀 / 《紺糸威胴丸具足》江戸時代 19世紀
3章は「刀 ― 蒐集と公開」。利藻は二代住友総理事・伊庭貞剛を通じて刀を譲り受けた頃から、加速度的に刀剣蒐集を加速。新古、大小あわせて2,000口あまりになったと伝わります。
利藻は蒐集した刀剣を秘蔵することなく、甲冑、刀装具とともに、自邸で積極的に公開しています。
重要美術品《太刀 銘 長光》鎌倉時代 13世紀
利藻は、廃刀令で窮地に立たされていた刀鍛冶も支援しました。なかでも、親交が深かった大阪の月山貞一(初代)には多くの名刀を見せ、注文製作の機会も与えました。
利藻の手厚い支援もあり、貞ーは刀工として腕を磨き、帝室技芸員にも任命されました。貞ーは明治天皇の佩刀も制作しており《太刀 銘 月山貞一造之/明治三十六年春》は、天皇の愛刀「小烏丸」と同形です。
(右手前)《太刀 銘 月山貞一造之/明治三十六年春》明治36年(1903)
隣の展示室に進み、最後の4章は「刀装具 ― 記録・技術保存」。利藻は刀剣を蒐集するうちに、刀装具にも興味をもつようになりました。
現在、根津美術館で所蔵する刀装具は819件。当初からは半減しているものの、今も利藻の蒐集の性格を色濃く残しています。
4章「刀装具」展示風景
実は初代根津嘉一郎には刀剣の趣味はありませんでしたが、光村コレクションを一括購入した際には、なんと実物を見なかったそうです。「苦心の大蒐集だから買った」とは、根津嘉一郎の豪快な蒐集スタイルが伺えます。
同時開催中のテーマ展は、展示室5で「二月堂焼経 -焼けてもなお煌めく-」が開催中。寛文7年(1667)に東大寺の二月堂の火災で焼損した華厳教「二月堂焼経」。奈良時代の紺紙銀泥経で、唯一現存する貴重な作品が公開されています。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年9月1日 ]
※許可を得て撮影。展示室内は撮影禁止です。