20世紀の建築や工業デザインに大きな影響を与えたジャン・プルーヴェ(1901–1984)。金属工芸家としてキャリアをスタートし、家具から建築へと領域を拡大。戦後はフランス復興計画の一環としてプレファブ住宅を複数考案するなど、精力的に活躍しました。
プルーヴェが手がけたオリジナルの家具や建築物およそ120点を、図面やスケッチなどの資料とともに紹介する展覧会が、東京都現代美術館で開催中です。
東京都現代美術館「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」会場入口
アール・ヌーヴォー全盛期のフランスで、ナンシー派の画家の父と、音楽家の母に育てられたプルーヴェ。
誰もが工業製品を手にできる社会を目指し、新しいものを受け入れながら、模倣せずに常に創造するというプルーヴェの思想は、ナンシー派からの影響を見ることができます。
プルーヴェの家具デザインで、椅子は特に重要です。1934年の「スタンダードチェア」は、その後、 使われる環境や資材の変化に合わせて改良。木製のタイプは、フランス国内で人気を博し、長く販売されました。
東京都現代美術館「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」会場風景 《「シテ」本棚》1932年 《「S.A.M」テーブル No.506》1951年 2点ともにYusaku Maezawa collection / 《「メトロポール」チェア No.305》1950年 Laurence and Patrick Seguin collection
東京都現代美術館「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」会場風景 《「ゲリドン・カフェテリア」組立式テーブル》1950年 Yusaku Maezawa collection / 《「カフェテリア」チェア No.300》1950年 Laurence and Patrick Seguin collection
1949年、プルーヴェは自邸を建てるため、ナンシーの街を見下ろせる丘に土地を購入。当初の建築計画は変更を余儀なくされたものの、1954年の夏に完成。構造的論理を追求したこの邸宅は、住宅計画の自由度や快適さ、そして経済性を体現しています。
プルーヴェは経営のセンスも優れていました。設立した工場 「アトリエ・ジャン・プルーヴェ」は成功。生まれた利益はスタッフに分配し、余剰金で新しい機械を購入しました。
設計と制作の現場が緊密につながった生産体制が、プルーヴェの先進的な試みを可能にしたといえます。
東京都現代美術館「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」会場風景 《「メトロポール」住宅(プロトタイプ、部分)》1949年 Laurence and Patrick Seguin collection
東京都現代美術館「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」会場風景 《「メトロポール」住宅(プロトタイプ、部分)》1949年 Laurence and Patrick Seguin collection
プルーヴェは、家具をつくることと建物をつくることには隔たりがないと考えていました。目的と機能がデザインを決めるという、機能主義と製造を統合する合理性に基づいた「建設的思考」を構築しています。
プルーヴェは、工業製品の量産が人々に健やかな暮らしをもたらすという理想を持っていました。軽量ですばやく組み立てられる 「工場製住宅」 は、通常の家族用や休暇用としての使用はもちろん、緊急的に住居が必要な状況にも対応する事ができます。
規格化された建築パネルは、さまざまな組み合わせが可能なため、より多くの建築物で使うことができます。またそれらの建築材料は、経済性、軽量性、拡張性を重視しながら、 快適さを高められるよう改良が重ねられました。
プルーヴェが活躍したのは半世紀前ですが、その考え方は今日の環境問題を見据えているかのようです。
ジャン・プルーヴェとピエール・ジャンヌレの共同設計《F 8x8 BCC組立式住宅》1942年 Yusaku Maezawa collection
ジャン・プルーヴェとピエール・ジャンヌレの共同設計《F 8x8 BCC組立式住宅》1942年 Yusaku Maezawa collection
最後の展示室では、プルーヴェのインタビューを含む映像を、プルーヴェによる《折りたたみ天板付き講義室用ベンチ》に座りながら見ることもできます。ゆっくりとお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年7月15日 ]
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo 2022 C3924