《冨嶽三十六景》や『北斎漫画』などで知られる、江戸時代後期を代表する浮世絵師、葛飾北斎。世界で最も著名な日本の芸術家の一人です。
北斎の作品は世界中のミュージアムに収蔵されていますが、大英博物館もそのひとつ。そのコレクションの質は、世界でもトップクラスといわれます。
大英博物館のコレクションを中心に、国内の肉筆画の名品もあわせて紹介し、北斎の足跡を追う展覧会が、サントリー美術館で開催中です。
サントリー美術館 会場入口
北斎は安永7年(1778)頃、勝川春章に入門し「春朗」としてデビュー。後に4年ほど「宗理」と名乗ったのち、寛政10年(1798)、39歳で「北斎」になりました。
さらに50代では「戴斗」、数え61歳で「為一」と、何度も号を変えています。
《為朝図》は北斎時代のもので、かなり手の込んだ作品です。
第1章「画壇への登場から還暦」 葛飾北斎《為朝図》文化8年(1811)大英博物館
江戸時代には富士信仰が広まっていましたが、北斎もまた、崇高な山として富士を敬愛していました。
《冨嶽三十六景》シリーズは、輸入された藍色の色料、プルシアンブルーを使用し、それまでの画業の集大成といえる作品です。
第2章「富士と大波」 葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》天保元~4年(1830〜33)頃 大英博物館
人間や自然をつぶさに観察して技を磨いた北斎。ただ北斎は、単なる現実の描写に留まらず、それらのモチーフを独自の作品に昇華させていきました。
《諸國瀧廻り》シリーズには、北斎がよく知っていた場所だけでなく、想像で描かれた場所も含まれています。
第3章「目に見える世界」 葛飾北斎《諸國瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝》天保4年(1833)頃 大英博物館
信仰や幻想などの目に見えないテーマでも、北斎は想像力を駆使して現実感がある作品を描いていきました。
《百人一首乳母がゑとき 柿の本人麿》は、飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂がテーマ。歌は侘びしさを詠んだものですが、北斎はその歌意を漁師たちの姿で表しています。
第4章「想像の世界」 葛飾北斎《百人一首乳母がゑとき 柿の本人麿》天保6~7年(1835~36)頃 大英博物館
北斎が60代後半から70歳の頃から一緒に住み、共同制作を行っていたのが、娘のお栄(画号「応為」)です。
詳細は分かっていませんが、「北斎」の作とされている作品の多くに、お栄も助力していたと考えられています。
第5章「北斎の周辺」 葛飾応為『女重宝記』弘化4年(1847)大英博物館
最終章には肉筆画が紹介されています。北斎の肉筆画制作のピークは、40代から50代半ばと、75歳頃から没年までの2期で、さまざまな作品を描きました。
最晩年は制作の中心が肉筆画となり、弘化4年(1847)に88歳になると、さらに命を永らえて絵を極めたいと思ったのか、「百」と彫った大きな印を作り、以後はその印章を用いています。
北斎が亡くなったのは、その2年後でした。
第6章「神の領域―肉筆画の名品―」 葛飾北斎《白拍子図》文政3年(1820)頃 北斎館[展示期間:4/16~5/16]
展覧会では、外科医ウィリアム・アンダーソン、小説家アーサー・モリソンら、大英博物館の北斎コレクションを築いたコレクターにも焦点を当てています。
イギリスにおける北斎愛好の広まりの歴史も、あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年4月15日 ]
※会期中展示替えあり