1982年11月3日に「開館記念展 印象派からエコール・ド・パリへ」で開館した埼玉県立近代美術館。今年でちょうど、開館40年を迎えます。
これまでの歩みを振り返り、美術館が築いてきた土台を検証しながら、これからの美術館を展望する展覧会が、同館で開催中です。
美術館が建つ北浦和公園の入口には、展覧会を示す告知が出ています。
展覧会の第1章は「近代美術館の原点 ― コレクションの始まり」。埼玉県に「近代」領域を対象にした美術館が建設される事が決まったのは、1976年です。美術館準備室が設立され、作品の収集が進んでいきます。
美術館の目玉といえるクロード・モネ《ジヴェルニーの積みわら、夕日》は、1981年に購入されました。この作品は、開館記念展のポスターにも使われています。
クロード・モネ《ジヴェルニーの積みわら、夕日》1888-89年
開館記念展では国内外から借用したフランスと日本の近代美術に加え、田中保、斎藤豊作、斎藤与里、森田恒友など、埼玉県ゆかりの洋画家の作品も展示されました。
これらの作品は、現在でもコレクションの核として位置付けられています。
(左から)田中保《キュビスムトA》1915年 / 田中保《水辺の裸婦》1920-25年
第2章は「建築と空間」。美術館を設計したのは黒川紀章です。後に黒川は国立新美術館など多くの美術館を手がける事になりますが、初めて手がけた美術館が埼玉県立近代美術館です。
美術館が建つ北浦和公園には、かつて旧制浦和高校がありました。黒川はその記憶を継承しながら、建物と公園との「共生」を目指しました。
黒川紀章建築都市設計事務所《埼玉県立美術館(仮称)模型》縮尺 1/300 1979年
美術館の開館にともない、公園内にも野外彫刻などが整備されました。今回の展覧会では、橋本真之の作品やスケッチなどを展示しています。
公園には黒川紀章の代表作「中銀カプセルタワービル」のカプセルモデルも設置されています。
(右)橋本真之《作品115 運動膜(内的な水辺)》1978-83年
第3章「美術館の織糸」では、開館以来成長を続けてきた美術館のコレクションを、3つの視点で紹介します。
1970年代を軸に活躍した現代美術形の作品は、収集の柱のひとつです。1995年には「1970年 ― 物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」展を開催し、当時の動向を再検証しました。
(壁面)「1970年 ― 物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」ポスター 1995年
1930年代から50年代にかけて活躍した瑛九(本名・杉田秀夫)は、浦和にアトリエを構えており、埼玉県では埼玉県立博物館の近代美術部門の時代から、調査と作品収集を進めてきました。
瑛九は絵画、フォト・デッサン、版画、文筆など領域を横断して活動しており、収集を進める中で、その創作を俯瞰するコレクションがとして発展しました。
(左)瑛九《十三子姉》1929年 / (右上)瑛九《ともだち》1944年 / (右下)瑛九《兄弟》1944年
都内で相次いで展覧会が解散されるなど、人気が高まっている小村雪岱も、埼玉ゆかりの作家です(川越生まれ)。早くも1975年には埼玉県立博物館で「小村雪岱展」を開催しています。
雪岱は大衆文化の分野で活躍したため、没後の評価は遅れていましたが、美術館の活動は雪岱の独創性に光を当てる事になりました。
『邦枝完二代表作全集』著 邦枝完二 装幀・挿画 小村雪岱 1936-37年
第4章は「同時代の作家とともに」。最後の章では、美術館の空間や建築に呼応するように生まれた作品やプロジェクトを紹介します。
宮島達男《Number of Time in Coin-Locker》は、美術館のコインロッカーに設置された作品。1996年に行われたワークショップで、埼玉県民150人が好きな速度でデジタル・カウンターを設定しました。今でもコインロッカーの中でリズムを刻んでいます。
宮島達男《Number of Time in Coin-Locker》1996年
80年代から90年代にかけては美術館の建設ラッシュという事もあり、多くの館が開館40年を迎えています。
コロナ禍で他館から作品を借りる事が難しくなった昨今。改めて、美術館の基礎体力が問われています。この後の成長にも、注目していきたいと思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年2月5日 ]