昨年10月、明治生まれの群馬県美術界の重鎮・松本忠義氏が他界されました。自らを「生涯一画学生」と呼び、ひたすら高崎の地でじっくりと自らの芸術を育て上げました。
松本忠義は、1909年(明治42)高崎市八島町に生まれました。旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)時代の同級生に終生の画友である豊田一男と出会い、また2級上に尊敬の念を抱き続けた山口薫がいました。群馬県内において洋画が広く興隆をはじめた大正時代中頃は、松本の少年期と重なっています。画家として生きる道は、この時期の出会いと体験に影響が大きいと言えそうです。
高中卒業後の1928年(昭和3)松本は、上京し川端画学校や1930年協会洋画研究所に学びます。
その後、1932年(昭和7)帰郷。郷里に身を置き画業に専念します。1936年(昭和11)には、山口の郷里である箕郷に「赤土山房」なるアトリエを建て、地元の先輩の坂和一郎とともに3人で制作に励みます。松本の初期の作品には、山口薫と共通の感性が見られ、興味深いところです。
1941年(昭和16)には現在の群馬県美術展の前進である群馬美術協会が創立され、松本も会員になります。戦後は、井上房一郎が主宰する現代美術研究所が喫茶「ラ・メゾン」の階上に造られ、画廊兼画材店の「珍竹林」が創業するなど、高崎市内にも文化の活気が戻ってきます。松本は山口に薦められ、自由美術家協会の会員となり(1947~1964)、群馬県下でも後進を育てる役割を果たしていきます。
おもな出品作家:松本忠義、福沢一郎、清水刀根、中村節也、鶴岡政男、山口薫、分部順治、正田壌 井田秋雄 他