2024年は、昭憲皇太后百十年祭・霞会館創立150周年の式年にあたります。御祭神ゆかりの品々を紹介している明治神宮ミュージアムでは、節目の年を記念した「受け継がれし明治のドレス」が開催中です。
展覧会は、前期・後期展示に分けて開催。5月25日からの後期展示では、明治時代のドレスや明治天皇からの拝領品を紹介しています。
明治神宮ミュージアム 入口
霞会館の前身にあたる華族会館は明治7(1874)年6月1日に誕生しました。大名・公家らを併せた「華族」は、新たな時代の代表となることを求められ、勉学に励み、海外への留学により見聞を広めていきました。華族の組織化をはかり、明治天皇の勅諭によって創立されたのが華族会館です。
第1章「華族会館の創立と行幸」では、明治天皇より下賜された銅器や花瓶、銀製の鉢を展示。それぞれに菊の御紋や菊花文が施されています。
第1章「華族会館の創立と行幸」会場
第2章「皇族の華やぎ ― 北白川宮家 ―」では、展覧会の見どころと言える豪華なドレスが並びます。西洋化の進んだ明治時代は服飾においても洋装が進み、腰を後ろに大きく膨らませたバッスルスタイルが流行りました。明治20(1887)年の新年参賀式では、昭憲皇太后が初めて新調したドレスをお召しになったようです。
第2章「皇族の華やぎ ― 北白川宮家 ―」会場
北白川宮能久親王妃富子、北白川成久王妃房子らが着用していたと考えられるドレスの収蔵を行ってきた霞会館。それらの洋装一式を後世に残すため、2018年から2023年まで解体を伴う大掛かりな修復が行われ、美しくなったドレスが本展で初めて公開されました。
夜会や晩餐会で着用された、襟が開いた袖なしのドレスである「ローブ・デコルテ」。ドイツの裁縫師マックス・エンゲルが手掛けたもので、ビーズやパール、刺繍を用いて麦や花を立体的に表現しています。
《ローブ・デコルテ》マックス・エンゲル 明治19年頃 霞会館
バラの花が織りだされたローブ・デコルテは、明治末から大正初期頃に房子妃がお召しになったとされるドレス。ハイウエストのシルエットに後ろを膨らませない自然で軽やかなスタイルで、スパンコールやビーズ、金糸が胸元や肩、胴部を彩った華麗な衣装です。
《ローブ・デコルテ》 明治末~大正初期 霞会館
第3章では、鹿鳴館や延遼館(現・浜離宮恩賜庭園内)の伝来品が紹介されています。華族会館は様々な陶磁器が室内を彩っており、会場には移転や地震、戦時下の混乱や接収を掻い潜ってきた「伝来の陶磁器」が並んでいます。
作者の技巧の高さを感じさせる器形や金彩を使った緻密な文様表現は、輸出向けに製作された薩摩焼の特徴が窺えます。
《色絵武者図瓶》 明治初期 霞会館
コバルトブルーの鮮やかな装飾が施された七宝は、工程に手間を要するため量産が難しく、その希少性や手の込んだ細部から明治初期の装飾工芸を象徴するものといえます。
瓶の底部には、朱色のペイントで「ENG PEERS(ピアスクラブの意)」の文字が入り、進駐軍(GHQ)により接収されたことを物語っています。
第2章「皇族の華やぎ ― 北白川宮家 ―」会場
華族会館は明治23年から37年間、鹿鳴館を新たな拠点としていました。そこで使用されていた家具には、鹿鳴館の設計を行なったイギリス建築家、ジョサイア・コンドルが関わったと思われる調度品も並んでいました。普段は霞会館のロビーに展示している家具も、本展で公開されています。
第3章「延遼館、鹿鳴館伝来品」会場
第4章では、華族会館を彩った絵画を展示。百武兼行によるルーベンス作品の模写《ヘラクレスとネメアの獅子》は、関東大震災で花瓶が落下し下部が破損しましたが、その後数回にわたり修復がなされました。
《ヘラクレスとネメアの獅子》 百武兼行 明治14~15年頃 霞会館
華族会館には、洋画や日本画、富士山の刺繡額なども飾られていました。今回の展覧会で約95年ぶりに一般公開となったのが、17世紀オランダ風景画の黄金期に活躍した画家、ヤン・ファン・ホイエンと、動物の描写を得意としたイギリスの画家ジョン・マッカラン・スワンによる2つの作品です。
もともとは、西洋美術の美術館設立を構想していた実業家・松方幸次郎がフランスやイギリスから収集したコレクションのひとつでしたが、昭和2(1927)年に金融恐慌の煽りを受け、華族会館に寄贈されました。
(左から)《砂丘》ヤン・ファン・ホイエン 17世紀前半頃 / 《明けがたの虎》 ジョン・マッカラン・スワン 19世紀後半~20世紀初頭 霞会館
会場内では、ほかにも「六頭曳儀装車」をはじめとした御宝物や明治神宮の歴史の分かる展示がされています。明治神宮の参拝と一緒に展覧会を楽しむのもおすすめですが、毎週木曜日は休館日ですのでご注意ください。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2024年5月24日 ]