日差しが厳しくなってきたこの季節。今ならハンディファンですが、江戸時代の夏は団扇が必需品でした。
団扇絵は、団扇に描かれる浮世絵のこと。団扇は実用的なだけでなくお洒落アイテムでもあったため、人々の求めに応じて、さまざまな団扇絵が描かれました。
江戸時代後期に活躍した浮世絵師・歌川国芳の団扇絵だけを集めた展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館「国芳の団扇絵 ― 猫と歌舞伎とチャキチャキ娘」会場
展覧会は3章構成で、第1章は「戯画とさまざまな題材」。戯画は国芳が得意としたジャンルのひとつで、国芳は団扇絵でも多くの戯画を描いています。
《道外忠臣蔵五段め》は「仮名手本忠臣蔵」五段目のパロディーです。国芳の団扇絵としては早いもので、本展で初紹介となる作品です。
《道外忠臣蔵五段め》天保1年(1830)
《其うら同めんづくし》は、「めん」という言葉が付くものを集めたデザイン。ちりめん、もめん、そうめん、帳めんなどが描かれています。
国芳は同じ版元から「流行面づくし」(天保13年)というさまざまなお面を集めた団扇絵を刊行しており、その裏面に貼ることを想定していた可能性もあります。こちらも初紹介作品です。
《其うら同めんづくし》天保後期(1840~44)頃
第2章は「役者絵」。浮世絵のなかで役者絵は美人画と並ぶ人気のジャンルで、役者を描いた団扇絵も数多く制作されました。江戸時代の歌舞伎ファンが役者の団扇絵を求めるのは、現代の「推し活」と同じような感覚だったのかもしれません。
《当国三つの狩 葺かり・ほたりかり・川かり》は、野外での狩りとともに役者を描いた揃物です。描かれているのは左から順に、五代目沢村宗十郎、八代目市川団十郎、三代目岩井粂三郎です。
《当国三つの狩 葺かり・ほたりかり・川かり》弘化4~嘉永1年(1847~48)
《濡髪長五郎 放駒長吉》は嘉永5年3月に河原崎座で上演された「双蝶々曲輪日記」が題材と思われる作品です。濡髪長五郎は八代目市川団十郎、放駒長吉は三代目嵐璃寛の似顔になっています。
濡髪と放駒はともに力士で、二人が対峙する緊迫の場面です。
《濡髪長五郎 放駒長吉》嘉永5年(1852)3月
第3章は「美人画」。国芳が団扇絵で最も多く描いたのは美人画で、現存作品の約半数、およそ300点が美人画です。
《当世三婦苦対》のシリーズ名は「三幅対」をもじったもの。背景に描かれている今戸人形は、三福神、狐拳(狐・庄屋・猟師)、カ土2人と行司で、すべて3つで一対になっています。
《当世三婦苦対 湯あがり・遊女》天保4年(1833)
《遊女》に描かれているのは、豪華な髪飾りから高位の遊女とわかります。天保13年6月の町触(まちぶれ)で遊女を描くことが禁じられているため、その前後に制作されたものと思われます。
《遊女》天保13年(1842)頃
《美立 吼噦》の吼噦(こんかい)は、狂言「釣狐」(つりぎつね)のこと。猟師に一族を釣り取られた老狐の物語で、題名の枠には狐釣りの罠が意匠化されています。
《美立 吼噦》嘉永2年(1849)
国芳の団扇絵だけをご紹介する展覧会は、本展がはじめて。約100点の初紹介作品を含めて、前後期あわせて220点を紹介。全ての作品が展示替えされます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年5月31日 ]
※画像はすべて前期展示