「イラストレーション」「イラストレーター」という言葉が日本になかった時代から活動している宇野亞喜良(うの・あきら:1934-)。1960年代末にはアングラ演劇ポスターや舞台美術で時代を席巻し、現在でも精力的に活動を続けています。
初期の作品から代表作、そして近作まで、圧倒的なボリュームで宇野の活動を紹介する展覧会が、東京オペラシティアートギャラリーで開催中です。
東京オペラシティアートギャラリー「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」会場入口
宇野亜喜良は1934年、名古屋生まれ。室内装飾家の父から手ほどきを受け、幼少期から創造力と表現力を磨いていきました。
中学生の頃から洋画家に絵を学び、やがてデザイナー志望へ。19歳でグラフィックデザイナーの登竜門だった日本宣伝美術会(日宣美)で入選を果たし、早くも頭角を現していきました。
(左端から時計回り)《自画像》1949年 / 《裸婦スケッチ》1953年 / 《風景スケッチ》1953年 / 《風景スケッチ》1953年
上京後の1956年には、興和新薬の懸賞広告で一等賞を獲得。在籍していたカルピス食品工業では新聞広告などを手がけています。
田中一光や杉浦康平とも仕事を通じて交流、亀倉雄策や山城隆一らが結成した「21の会」にも参加するなど、多くの経験を重ねながら、自らのデザイン理論を深めていきました。
(左から時計回り)「ボオドレール 惡の華」ポスター 1950年代 白水社 / 「越路吹雪リサイタル」ポスター 1959年 刈谷市美術館 / 「越路吹雪リサイタル」ポスター 1960年 刈谷市美術館
1960年には日本デザインセンターに入社。デザイナーという言葉が一般に認知されるようになったこの時代には、企業広告で華々しく活躍しました。
1960年の第10回日宜美展では会員賞を受賞。1965年、1966年と2年連続で東京ADC賞銀賞も獲得しています。
(左手前)「カシミロン」ポスター 1960年 刈谷市美術館
宇野の仕事は新聞や雑誌にも広がり、1960年には『新婦人』の扉絵を1年間連載。翌年から6年間は、写真家の鈴木恒夫と組んで同誌の表紙を担当しました。
70年代には『週刊小説』などの目次絵にエロティックな女性像を描く一方、『詩とメルヘン』には愛らしい画風の絵を寄せるなど、さまざまなスタイルの仕事を自在にこなしていきました。
「新聞・雑誌」
デザインもイラストレーションも得意とする宇野にとって、書籍の仕事はその実力を十二分に発揮できる場といえます。
1960年代には寺山修司の『ひとりぼっちのあなたに』などで、若い女性から絶大な人気を獲得。2023年の作品である津原泰水『五色の舟』でも、繊細なイラストレーションを描いています。
『五色の舟』2023年
宇野は現在までに70冊余りの絵本を手がけ、多くの児童書にも携わってきました。
作風も、愛らしい『青い鳥』(著:堀尾青史)から、横尾忠則と企画したデザイン性の高い『海の小娘』(著:梶祐輔)、官能的な『あのこ』(著:今江祥智)など、変幻自在です。
「絵本・児童書」
1964年、久里洋二、真鍋博、柳原良平からなる「アニメーション三人の会」から招待出品の依頼を受けた宇野は、『白い祭』『お前とわたし』『午砲(ドン)』という3本の短編アニメーション映画を発表。
それぞれ異なった手法で、事物が変身していくイラストレーションを見せています。
「アニメーション映画」
70年代の宇野は『七人の魔女』のような過激でエロティックな女性像の版画集や作品集を制作。この時期の宇野は、過去作品に準じた様式を求められる仕事に辟易しており、自分の表現スタイルをあらためて見直していました。
1982年刊行の作品集 『宇野亞喜良マスカレード』では、藤田嗣治の「乳白色の裸婦」を彷彿とさせるような、新しいスタイルの裸婦像を描き下ろしています。
《中国風》『宇野亞喜良マスカレード』原画 1981年 刈谷市美術館
デザイナーとして活動していた1960年代、宇野は印刷知識と描写力を存分に発揮したポスターを多数制作。60年代半ばに劇作家の寺山修司と出会うと、演劇や舞台のポスターも手がけるようになりました。
宇野ならではの耽美な世界観のポスターは大いに人気を博し、貼る度に剥がされて持ち去られてしまったといいます。
(左手前)演劇実験室◎天井桟敷第5回公演『新宿版千一夜物語』1968年
演劇についてはポスターだけでなく、宇野自身も舞台装置、衣装、メイク、そして演出や脚本など、演劇全体を総合的にプロデュースする仕事も行っています。
1990年代以降は、ダンス・エレマンとの仕事をきっかけに、集中的に舞台美術の仕事を進めた宇野。劇団員たちと一緒にペンキを塗り、役者にメイクを施すなど、積極的に芝居に関わっていきました。
「舞台美術」
1987年に東急百貨店渋谷店で開催した個展を機に、展示空間への関心も深めた宇野は、現在に至るまで毎回テーマを決めて個展を開催。個展とリンクした作品集も出版してきました。
2000年代になると、石粉粘土で制作した人型オブジェも個展に出品。個展は制約が少ないこともあり、より自由な宇野の表現を見ることができます。
(左から)《OH! セザンヌ》1992年 / 《ピカソ》1992年
BUCK-TICK(バクチク)や椎名林檎のCDジャケットなど音楽の仕事、資生堂やディズニーストアなど企業とのコラボなど、近年も宇野は旺盛な創作活動を継続しています。
俳句から着想した絵画も発表しており、これらはギンザ・グラフィック・ギャラリーなどで展示されています。
(手前)《龍の落とし子》2020年
宇野の仕事を振り返る大規模展は、2010年に刈谷市美術館で開催されて以来14年ぶり、東京では初めての開催です。展示作品の総数はなんと900点超という、展覧会ではちょっと聞いたことがない数字になりました。
まさに宇野亞喜良ならではの世界に包まれる密度の高い会場です。存分にお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年4月10日 ]