手足をぴょこぴょこ突き出して、踊っているかのような人型のアイコン。ポップな作品で不動の人気を誇るキース・ヘリングは、1980年代のアメリカ美術を代表するアーティストです。彼は、1980年から1986年にかけて次々と展覧会を開催され、国際的に高く評価されていきました。さらに、31年間の短い人生の中で幾度も壁画制作や社会的なワークショップに挑み、平和のメッセージやHIV・エイズ予防啓発運動を発信し続けた人物でもあります。
中村キース・ヘリング美術館外観
山梨県北杜市にある中村キース・へリング美術館では、2024年6月1日から企画展「Keith Haring: Into 2025 誰がそれを望むのか?」を開催中。今回は、世界唯一のキース・ヘリング専門の本館を訪れました。
展示入口
館内のチケットカウンターから展示室へ向かう道は、傾斜のある暗い通路。いきなり非日常感にあふれた空間を、「レディアント・ベイビー」のネオンサインを目指して進んでいきます。頭上を照らす6色の照明は、ゲイだと公表したヘリングに因み、LGBTプライドを示すものだそう。
展示風景
最初の展示室も暗い空間で、キース・へリングの幼少期から、成人後にアーティストとして活動する1980年代の足跡が紹介されています。壁面には、幼いヘリングが情報源として読んだ「LIFE」誌や、彼自身が制作したポスターなどが展示。
《オルターピース:キリストの生涯》
へリングが亡くなる直前まで制作したという祭壇画もあり、ポップでありつつもどこか荘厳さを感じさせる作品の魅力が伝わります。
次の展示室に進むと、徐々に照度が明るくなります。1986年にヘリングがベルリンの壁に描いた壁画プロジェクトについて、写真と映像で紹介。すでに現存しない作品ですが、写真に残された制作風景では、地元の若者とユーモアを交えて交流しながら作品を描くヘリングの姿が印象的です。
展示風景
続く展示室は、天井が高く、どことなく教会を思わせる部屋です。今までの暗い部屋から出てきてもあまり眩しさを感じないのは、美術館がある土地・八ヶ岳の朝に合わせて照度が設定されているからだそう。ここでは、東京やニューヨークなど、ヘリングが世界各地の子どもたちと共同制作した巨大な作品が並び、見ごたえたっぷりです。
展示風景
さらに本展では、キース・へリングが広島を訪れた際の足跡も紹介されています。ヘリングは、1988年に広島で開催されたチャリティーコンサート「HIROSHIMA '88」のメインビジュアルを手がけたことがきっかけで、実際に広島を来訪しました。2日間という短い滞在期間中の詳しい行程は、キース・へリング美術館による調査で新たに解き明かされた面が大きいそう。綿密な調査の結果が、関係者への聞き取りや彼の日記、ドローイングとともに紹介されています。
本展のタイトル「誰がそれを望むのか?」は、彼が広島平和記念資料館を訪れた際に日記に残した「これが再び起こることを誰が望むだろうか?どこの誰に?」という言葉から取られています。
左:「HIROSHIMA ’88」のためのポスター / 右:「HIROSHIMA ’88」のためのポスター
「HIROSHIMA '88」ポスターの元となったドローイングには、実物を間近に見ないと気づかないほどですが、修正液で修正された跡があります。地下鉄の空き広告に貼られた黒い髪にチョークで描く作品で頭角を現し、短時間での制作を得意とするはずの彼が何度も描き直した線からは、それだけヘリングが広島に対して真摯に取り組んだ姿勢が感じ取れます。
本展では、コミカルでポップなイメージが先行しがちな彼の作品の魅力が、戦争という大きな問題に生涯向き合った生き様から生まれていることを体感できました。鑑賞者のキース・ヘリング観を大きく塗り替えられるかもしれない本展は、2025年5月18日までの開催です。
[ 取材・撮影・文:芝 / 2024年5月31日 ]