後の印象派画家に影響を与えたともされているターナーは、一方で弱冠26歳でロイヤル・アカデミーの正会員になった‘体制派’の人物。一面だけでは判断しきれません。
10代の習作から晩年の作品までを紹介する、日本では久しぶりの大型ターナー展。ターナーの全てを展観する、またとない機会となりました。
会場入口から展覧会は10章構成。大型の作品も多いため、かなり見応えがあります。
《イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンス・リージェント(摂政王太子)の誕生日に》も、横幅が3mを超える大作。テムズ川の田園風景を描いた作品です。
ターナーは30歳の時にロンドン中心部を離れたテムズ河畔に家を借り、何度もテムズ川を探索。自然表現の腕を磨いていきました。
第3章「戦時下の牧歌的風景」と、《イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンス・リージェント(摂政王太子)の誕生日に》1819年発表ターナーは44歳で初めてイタリアを訪問。つぶさにスケッチした古代の史跡や美しい風景は、その後のターナーにとって大きな財産となりました。
《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》は、初めてのイタリア旅行からの帰国後、すぐに描かれた作品です。
画面中央右側には、自作を確かめているラファエロの姿が。ラファエロの後を継ぐのはターナー自身であることも、世間に示そうとしました。
《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》1820年発表日本では、夏目漱石の小説「坊ちゃん」でターナーの名を知った方も多いと思います。“赤シャツ”が「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と言うシーンです。
漱石は英国留学中にターナーの作品に出合い、強い印象を受けました。漱石が見たと思われる「真直な松のターナーの絵」は確定していませんが、こちらの《チャイルド・ハロルドの巡礼 ─ イタリア》も有力候補のひとつです。
《チャイルド・ハロルドの巡礼 ─ イタリア》1832年発表画家としてのターナーを考える上で、興味深かったのは6章「色彩と雰囲気をめぐる実験」。ターナーが遺した作品の中に含まれていた、水彩で描いた習作集です。
今日では「カラー・ビギニング(色彩のはじまり)」の名で呼ばれていますが、そもそも人に見せるつもりではなかったもの。ターナーは自らの制作方法について多くを語りませんでしたが、この習作を見ると色、明暗、構図など、さまざまな研究を重ねていたことが分かります。
同じコーナーにはターナーの絵具箱も。絵具箱の中に残った唯一のチューブは、ターナーが好んでいたというクローム・イエローでした。
6章「色彩と雰囲気をめぐる実験」著名画家の名前を冠した「○○展」は、その周辺の作品も含めて構成される事も多い中で、文字通り、ターナーの作品ばかりを集めた大規模展。得意の海を題材にした作品や、晩年の抽象画風の作品など、本稿では紹介しきれなかった作品もたっぷりです。この先は、会場でお楽しみください。
※作品はすべてテート美術館蔵(©Tate 2013-2014)
なお本展は2014年1月11日(土)~4月6日(日)、
神戸市立博物館に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年10月7日 ]