京都西北の嵯峨にある、平安時代に創建された古刹・大覚寺。2026年に開創1150年を迎える大覚寺には、数々の寺宝が今日まで大切に守り伝えられてきました。
華やかな障壁画をはじめ歴代天皇による優美な書、天皇家ゆかりの「五大明王像」などを展示する豪華な特別展「旧嵯峨御所 大覚寺」が、東京国立博物館で開催中です。
東京国立博物館「旧嵯峨御所 大覚寺」会場入口
大覚寺の歴史は、嵯峨天皇が離宮を造営したことに始まります。後に空海の勧めで五大明王像が安置され、嵯峨天皇の皇女・正子内親王の発願により、貞観18年(876)に大覚寺が創建されました。
京都の上級貴族の仏像制作を担った円派を代表する仏師・明円が制作した重要文化財《五大明王像》は、貴族好みの洗練された美しさが特徴的です。5体が揃って東京で展示されるのは、今回が初めてです。
重要文化財《五大明王像 不動明王》明円 平安時代・12世紀 京都・大覚寺[通期展示]
平安時代末期までの大覚寺は公家出身の門跡が続きましたが、文永5年(1268)に後嵯峨上皇が入寺すると、その後、天皇が次々と大覚寺に入るようになりました。
なかでも後宇多法皇はこの地で院政を行い、大覚寺は「嵯峨御所」とも呼ばれました。
その後宇多法皇が記した弘法大師空海の伝記《弘法大師伝》を見ると、後宇多法皇の空海への深い尊崇が感じられます。伝記が書かれたのは、ちょうど空海の480年目の命日でした。
国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》後宇多天皇筆 鎌倉時代・正和4年(1315)京都・大覚寺[展示期間:1/21~2/16]
南北朝時代に大覚寺は戦乱に巻き込まれ、伽藍が焼失するなどの困難に直面しますが、室町時代末期に関白・近衛尚通の子である義俊が門跡になると、幕府や朝廷との繋がりと繋がりが生まれ、再興を果たしていきました。
展示されているふたつの刀、膝丸と髭切は見どころのひとつ。平安時代中期に源満仲がつくらせた名刀で、源氏嫡流に代々受け継がれました。
(左から)重要文化財《太刀 銘 □忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》鎌倉時代・13世紀 京都・大覚寺 / 重要文化財《太刀 銘 安綱(名物 鬼切丸〈髭切〉)》平安~鎌倉時代・12~14世紀 京都・北野天満宮[ともに通期展示]
展覧会の最も壮大な見どころは、第4章「女御御所の襖絵 ― 正寝殿と宸殿」です。この章は会場全体の約6割を占め、撮影も可能です。
「正寝殿」は歴代門跡の御座所(居室)であり、なかでも最も格式が高いのが「御冠の間」です。通常は非公開ですが、本展では原寸で再現されています。
部屋の北側にあたる奥半分は、一段高い御座所。奥の襖を開けた先にある「剣璽の間」は、三種の神器のうち剣と玉璽(印章)を保管した場所と伝わります。
「御冠の間」の再現
重要文化財「宸殿」は、後水尾天皇より下賜されたと伝わる、寝殿造の建物です。
もとは徳川和子(後の東福門院)が後水尾天皇に入内した際に造営された女御御所と伝えられ、引手金具には天皇家の象徴である菊と、徳川家の家紋である葵がデザインされています。
その中でも「牡丹の間」に飾られた襖絵《牡丹図》は、狩野山楽の代表作。牡丹の花がリズミカルに配置された美しい構図が特徴的ですが、引手金具を動かした部分もあり、本来どこを飾っていたのかはわかっていません。
重要文化財《牡丹図》狩野山楽筆 江戸時代・17世紀 京都・大覚寺[通期展示]
まさに「百花繚乱」というサブタイトルにふさわしい展覧会。豪華な障壁画に囲まれた展示空間で、日本文化の粋をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年1月20日 ]