日常的に使われている手仕事の日用品に美しさを見出した「民藝」。約100年前、思想家の柳宗悦によって提唱された「民藝」とは何なのか、その広がりと現在、そしてこれからを展望する展覧会が、世田谷美術館ではじまりました。
世田谷美術館 会場入口
「民藝」という言葉は、1926年に柳宗悦が陶芸家の富本憲吉、河井寬次郎、濱田庄司との連名で発表した「日本民藝美術館設立趣意書」において初めて用いられました。日本各地を巡って民藝を見出した宗悦は、1936年に収集した品々を展示するために日本民藝館が開設します。
第I章では、日本民藝館が開館5周年の際に開催した「生活展」でのテーブルコーディネートの再現を試み、宗悦が説いた生活のなかの“用の美”を紹介します。
第I章: 1941生活展
第Ⅱ章では、宗悦が収集した民藝の品々を「衣」「食」「住」の3つの視点で紹介していきます。
「衣」では、四季折々の気候に合わせ、各地域で独自に発展してきた着物や傘などの小物を展示。暑さ寒さに対応できる機能性だけでなく、文様や配色など見た目の美しさにも配慮されています。
第Ⅱ章:暮らしのなかの民藝
奈良時代からの歴史をもつ結城紬は、高級織物として古くから知られていました。明治以降、西洋の技術が流入し、効率化を重視した大量生産へと移行する中でも、手仕事による製法を続けた結城紬の品質と製法に対し、宗悦はまさしく“民藝の品”と称えました。
第Ⅱ章:暮らしのなかの民藝
宗悦が説いた民藝美を最もよく表しているのが、日々の食事で用いられる器です。日本だけでなく、朝鮮半島やヨーロッパなど各地で作られた器は、地域の特性から生まれた素材を用い、形や文様に工夫を凝らしたものが存在します。
第Ⅱ章:暮らしのなかの民藝
宗悦は、縄や紐などを押し付けて文様を施した、日本の食文化の原点とも言える縄文土器にも着目しました。大小の渦巻きを主文様に、細かい線の模様が刻まれた絶妙なバランスで自立するこの土器は、日本民藝館の優品です。
深鉢 縄文時代中期 日本民藝館
日本各地へ旅に出て新たな品物を見出していた宗悦は、1938年に初めて訪ねた沖縄の民藝を“奇跡”と称えています。
紅型や芭蕉布、壷屋のやきものは、南国ならではの独自の文化や風習から育まれました。四季の模様が自由に取り込まれた色鮮やかな「紅型」は、染色家・芹沢銈介にも大きな影響を与えました。
(左から)蝶小花文紅型着物 / 流水に桜河骨文紅型着物 首里(沖縄) いずれも19-20世紀前半 静岡市立芹沢銈介美術館
各地域の職人たちは、日々の暮らしに必要不可欠な生活用品や家具などの調度品もその土地の素材を用いて作り続けていました。宗悦が説く「用の美」を極めた品々には、大量生産品では見られない、素朴な美に満ちています。
炉で用いられた自在掛もそのひとつです。なかでも北陸地方で作られた自在掛は、立派なものが多かったといわれています。
(手前)自在掛(大黒) 北陸地方 江戸時代 19世紀 日本民藝館
民藝運動の広がりは柳宗悦の没後にもみられます。濱田庄司が芹沢銈介、外村吉之介とともに1972年に刊行した「世界の民芸」では欧州各国、南米、アフリカなど、世界各地の品物を紹介しています。
2階の会場、第Ⅲ章では、民藝に新たな扉を開いたプリミティプな魅力に溢れた品々が並びます。
第Ⅲ章: ひろがる民藝
戦後には、日本のものづくりは機械生産が主流となりましたが、手仕事を続ける産地や、失われた手わざの復活を試みる職人も登場します。会場では、「小鹿田焼」「丹波布」「鳥越竹細工」「八尾和紙」「倉敷ガラス」の5つに焦点を当て、現在までも続く民藝の産地とそこで働く人々も紹介します。
第Ⅲ章: ひろがる民藝 「倉敷ガラス」
第Ⅲ章: ひろがる民藝 「八尾和紙」
昨今、ライフスタイルやインテリア雑貨などへの関心が高まる中で、改めて民藝が注目を集めています。最後のスペースでは、テリー・エリスと北村恵子(MOGI Folk Artディレクター)による「民藝のある暮らし」をテーマにしたインスタレーションを展開。現代の暮らしに民藝を取り入れたスタイルは、民藝の今後の広がりを示唆しているようにも感じられます。
テリー・エリスと北村恵子によるインスタレーション
世田谷美術館では珍しく、1階・2階と2つのフロアを使った今回の展覧会。会場を楽しんだ後は、20以上もの全国の老舗の名店や人気の工房による品々が集結した特設ショップもお楽しみいただけます。
展覧会は、東京会場の後、富山・名古屋・福岡へ巡回予定です。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2024年4月24日 ]