ヤマザキマリ氏の人気マンガ『テルマエ・ロマエ』でも良く知られる、古代ローマの公共浴場(テルマエ)。世界有数の風呂好き民族である日本人としては、はるか昔に存在していた高度な入浴文化は、とても興味をひかれるところです。
古代ローマの“お風呂文化” を中心に、絵画・彫刻・考古遺物など多彩な展示で紹介していく展覧会が、パナソニック汐留美術館で開催中です。
パナソニック汐留美術館「テルマエ展」会場
会場冒頭で睨みを効かせる胸像は、カラカラ帝です。帝国のすべての属州市民にローマの市民権を与えた「アントニウス勅令」で知られますが、彼の大きな業績のひとつが、ローマに巨大な浴場、カラカラ浴場を建設したことです。
ローマ市で最初にテルマエを建設したのは、初代皇帝アウグストゥスの右腕、アグリッパ。4世紀のローマ市内には、大規模な公共浴場が11もありました。
ただ、大規模なテルマエの運営には、水道の管理・維持などが必要であったため、中世になると古代ローマの風呂文化は消えていきました。
《カラカラ帝胸像》212〜217年 ナポリ国立考古学博物館
古代ローマが地中海に勢力を拡大していくと、特権階級と大衆の格差が拡大。大衆の不満を解消するために、皇帝はテルマエも含めてさまざまな娯楽を市民に提供していきました。
娯楽のひとつとしてあげられるのが、演劇です。仮面を付けた俳優によって演じられましたが、実物の仮面は木や革などでつくられていたため、現存しません。
《悲劇の仮面を表した軒瓦(アンテフィクス)》1世紀 ナポリ国立考古学博物館
剣闘士の試合も、誰もが楽しめる娯楽のひとつでした。
装備にはいくつか種類があり、左側の兜はレティアリウス(投網剣闘士)との対戦に特化したセクトル(追撃剣闘士)のもの。右側の兜はトラキア人剣闘士が使用したものです。
(左から)《兜》(レプリカ)75〜79年 ナポリ国立考古学博物館 / 《兜》(レプリカ)1〜50年 ナポリ国立考古学博物館
客を招いた饗宴は、裕福な人だけができる贅沢な催しでした。
フレスコ画に描かれた女性は、ヘタイラと呼ばれる高級娼婦。手前の小さな机には、饗宴用の豪華な銀器が並んでいます。
(左から)《ヘタイラ(遊女)のいる饗宴》1世紀 ナポリ国立考古学博物館 / 《魚のある静物》1世紀 ナポリ国立考古学博物館
入浴に類する文化としては、公共浴場が広まる前にも、自然の温泉をはじめ、古代ギリシャの運動施設の水風呂、医神の神域の入浴施設などがありました。ただ、それらを大衆の娯楽のために発展させたのが古代ローマ人でした。
テルマエは体を洗うだけでなく、人々と交流する場でもありました。また、文化サロン的な側面もあり、社交の場としても重要な場所だったといえます。
《アポロ・ビュティウス座像》は、浴場から出土した大理石像です。アポロが治癒神でもあったことと関係していると思われます。
《アポロ・ビュティウス座像》2世紀 ナポリ国立考古学博物館
古代ローマでは共和制末期(前133年頃~前27年)になると、日常的にジュエリーで身を飾るようになりました。
展覧会には、コレクターである橋本貫志氏の宝飾品コレクション「橋本コレクション」から、古代ローマの指輪17点も出展されています。
《金製指輪》1~2世紀 国立西洋美術館 橋本コレクション
テルマエの床には水に強いモザイクが敷かれ、1~2世紀には白黒モザイク、それ以降は多彩モザイクが好まれました。展覧会はこのエリアから、一般の来場者も撮影が可能です。
パナソニック汐留美術館「テルマエ展」会場
ローマの大規模なテルマエには、さまざまな大理石彫刻が飾られており、テルマエは大衆が美術品に接することができる場でもありました。
右手で慎ましやかに胸を、布をつまんだ左手で恥部を隠すしぐさの全裸のヴィーナス像は「恥じらいのヴィーナス」(ウェヌス・プディカ)とされるタイプ。ヘレニズム時代からローマ時代に、ヴァリアントが多数つくられました。
《恥じらいのヴィーナス》1世紀 ナポリ国立考古学博物館
会場には、カラカラ浴場の模型も展示されています。
カラカラ浴場は、カラカラ帝によって216年に建設された大規模なテルマエです。現在でもローマ市内に地上に遺構が残っているテルマエとして、良く知られています。
模型は3Dプリンターを使って制作。平面性の高い近代以降の建築に対し、彫塑的な要素が多い構造が分かりました。
《カラカラ浴場 復元縮小模型》模型制作:東京造形大学デザイン学科・室内建築専攻上田ゼミの学生 制作指導:上田知正(同大学教授)
展覧会の最後は、日本の入浴文化について紹介されています。奈良時代に成立した『日本書紀』にも有馬温泉が登場するなど、日本人もいにしえから入浴に親しみをもっていました。
人工的な施設での入浴は仏教とともに日本にもたらされ、江戸時代には町の中に湯屋が整備されていきました。
大きな《湯屋模型》は、江戸時代後期の公共浴場。洗い場の奥に石榴口(ざくろぐち)と呼ばれる出入口であり、その奥に湯船がありました。2階は男性専用の休憩所で、男湯からしか上がれません。
三浦宏《湯屋模型》1980年代
もうひとつの模型は、東京・大田区にある昭和32年(1957)年創業の銭湯「明神湯」の、開業当時の姿。
外観は関東大震災以後に登場した銭湯建築の典型で、神社仏閣を思わせる堂々とした佇まいです。
《明神湯》2008年 町田忍蔵
展覧会にはイタリア・ナポリ国立考古学博物館から30点以上が来日。浴場文化を中心に、古代ローマの生活全般にも目を向けた楽しい展覧会です。
展覧会は山梨、大分と進み、東京で3館目。最後は神戸市立博物館に巡回します(6/22〜8/25)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年4月5日 ]