古くから、植物繊維である木綿に美しい色を染める技術をもっていたインド。交易により世界に輸出され変化を遂げた、色鮮やかなインド布を紹介する展覧会が、大倉集古館で開催中です。
大倉集古館「恋し、こがれたインドの染織」会場入口
1488年、アフリカ大陸最南端の岬、喜望峰が発見されたことを契機に、ヨーロッパの列強はインドを目指しました。第1章では、ヨーロッパへ輸出されたインドの木綿の捺染布や、それを模倣してできた銅版プリントの布などを紹介します。
インドの南東海岸に位置するコロマンデール・コーストなどで作られる木綿布は、ヨーロッパの上流階級のベッドカバーやカーテン、衣類に用いられました。
第1章「ヨーロッパに渡った布とその展開」会場風景
カシミヤ山羊の毛で作るカシミアショールは、1枚作るのに3年かかると言われる非常に豪華なもので、上流階級のステータスとなります。もともとは、幅は1.5メートル、丈は3.2メートル以上あり、全身に巻き付けて着用しました。
第1章「ヨーロッパに渡った布とその展開」会場風景
ヨーロッパではインドに倣い、木綿、羊毛などでカシミールショールの模倣品が作られるようになります。スコットランドのペイズリー町では、多くの模造カシミールショールが織られたことに“ペイズリー模様”の名前が由来しました。
第1章「ヨーロッパに渡った布とその展開」会場風景
カーネーションやパイナップルなどの花綱模様は、木綿に染料を布に定着させる媒染技法がなかった当時のヨーロッパで人気を博したテーマのひとつです。
ヨーロッパに輸出された掛布断片
会場2階に上がり、第2章では東南アジアやペルシャ、日本へ渡った布を紹介します。
インドネシアに輸出された捺染布は、ヨーロッパのものとは異なり、富と吉祥の象徴としてハート型の菩提樹の葉や蓮の花などの文様が施されていることが特徴として挙げられます。絹絣(パトラ)を木綿プリントで模倣した作品も作られました。スリランカの布には、藍の使用がほとんどないことも分かります。
第2章「東南アジア、ペルシャ、日本へ渡った布とその展開」会場風景
インド半島の中南部に位置したゴルコンダ王国は、東インド会社の介入をよしとせず、イスラム教徒が祈祷の際に使用する敷布などを直接ペルシャへ輸出していました。モスクなどイスラム風のモチーフがデザインされ「ペルシャ更紗」とも呼ばれていました。
第2章「東南アジア、ペルシャ、日本へ渡った布とその展開」会場風景
日本には、長崎のオランダ商館を通してインドの捺染布が輸入されました。一般に「更紗」と呼ばれる捺染布は、大名や茶人が好んで収集した貴重品で、鍋島や天草藩、堺や京都では捺染布を模倣した「和更紗」が生まれました。
第2章「東南アジア、ペルシャ、日本へ渡った布とその展開」会場風景
第三章では、インド国内で使用された布を展示。インド国内では、王侯やヒンドゥ寺院の荘厳の布として金銀糸織や美しい発色の捺染布、複雑な絞り染布などが使われました。豊かな色彩感覚の中に、小花や鳥などの柄を繰り返し登場させている特徴が見られます。
第3章「インド国内で使用された布」会場風景
下の階では、神聖な存在として大切にされてきた牛に儀式の際にかけるブロケード織の布や、カシミヤ山羊毛の希少部分“パシュミナ”で織られたショールなども紹介しています。
隣のショップでは、色鮮やかなバンダナや数寄屋袋、インドの木版やマサラチャイのセットなども並び、鑑賞後もインドの文化に浸ることができます。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年8月7日 ]