ジェンダー論を掘り下げるまでもなく、人間を男性と女性というふたつの性別で分ける考え方は、私たちの中に深く根付いています。一方で、身にまとう衣服によって性の境界を越える試みも、古来から知られています。
絵画、衣裳、写真、映像、漫画など様々な作品を紹介しながら、性差を越えた「装いの力」を考察する展覧会が、渋谷区立松濤美術館で開催中です。
渋谷区立松濤美術館「装いの力 ― 異性装の日本史」会場入口
展覧会は8章構成で、1章は「日本のいにしえの異性装」。日本最古の異性装は、なんと『古事記』『日本書紀』に載っています。小碓皇子 (おうすのみこと/ヤマトタケル)は女装で油断させ、熊襲兄弟を討ちました。
中世の王朝物語や、能などの芸能においても、異性装は珍しいことではありませんでした。また、男装の女官である「東豎子(あずまわらわ)」など、職業的な理由で異性装だった人々もいました。
三代・山川永徳斎《日本武尊》昭和時代初期(20世紀) 個人蔵
2章は「戦う女性-女武者」。腕力勝負の戦場では男性が主役とされていましたが、中には女性の姿も。武器を持つ女性は「異性装」といえるでしょう。
九州征伐や三韓征伐をした神功皇后、『平家物語』に登場する巴御前 や静御前 、『吾妻鏡』の板額御前など、日本の神話や歴史には複数の「戦う女性」が登場します。
2章「戦う女性-女武者」
3章は「“美しい”男性-若衆」。若衆は、一般的には若い男性のことですが、場合によっては男色の対象である「陰間」と呼ばれる少年や役者を指すこともありました。
若衆の美意識を反映しているような振袖を見ると、性の境を軽々と超えていくさまが感じ取れます。
《納戸紗綾地菖蒲桔梗松文 振袖》江戸時代(18世紀)奈良県立美術館
4章は「江戸の異性装-歌舞伎」。安土桃山時代から江戸時代にかけて、女性の芸能者・出雲阿国が創始したとされる歌舞伎。阿国の夫とされる三十郎が女装し、男装の阿国と戯れる「茶屋遊び」の演目で人気を博すなど、歌舞伎は当初から異性装が特徴でした。
その後、成人男性の役者が、芝居劇のような演目を演じる形式となり、男性の役者が女役もこなす、現在の歌舞伎に繋がる形式になりました。
(左から)木笛庵痩牛《雨夜三盃機嫌 三巻》元禄6(1693)年 京都大学附属図書館 / 歌川豊国(初代)《恵方曾我萬吉原》文政2(1819)年 国立劇場
5章は「江戸の異性装-物語の登場人物・祭礼」。江戸時代に人気のあった読み物には、異性装がしばしば見られます。曲亭馬琴(滝沢馬琴)の『南総里見八犬伝』では、八犬士の1人である犬坂毛野は女装の剣士。もう1人の犬坂信乃も、幼少期には女装をして育てられました。
また、江戸の異性装として、山王祭や神田祭などにおける附祭(つけまつり)で、男装の女芸者による手古舞や獅子舞、助六、女伊達なども挙げられます。吉原遊郭における8月の祭りでも、男装した女芸者たちによる出し物が演じられました。
5章「江戸の異性装-物語の登場人物・祭礼」
6章は「近代における異性装」。明治時代になり、異性装に対し抑圧的な文化的背景をもつ西洋のえいきょうが大きくなると、現在の軽犯罪法にあたる違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)が制定。この中には、異性装禁止の項目も含まれ、異性装は刑罰の対象になります。
1880年には異性装を禁じる法令がなくなりますが、その影響下で、異性装を嫌悪する感情は社会に定着します。
ただ、そのような状況下でも、少女歌劇における男役が人気を博すなど、異性装の芸能に対する需要は失われませんでした。
(左から)結城正明《神宮皇后洗髪図》明治22(1889)年 東京藝術大学大学美術館 / 石井林響《童女の姿になりて》明治39(1906)年 東京都現代美術館
7章は「現代における異性装」。現代でも異性装は、少女歌劇や舞踏などの舞台芸術のほか、漫画や映画などでもしばしば見られます。
これらの異性装はエンターテイメントとしての側面がありますが、一方で、特定の性別における「らしさ」に対して、問題を提起することもあります。
7章「現代における異性装」
最後の8章「現代から未来へと続く異性装」は、本展のキモといえるゾーン。森村泰昌の「女優シリーズ」や、ダムタイプの《S/N》記録映像などで、ジェンダーやセクシャリティについて考察します。
ダンスパーティー“DIAMONDS ARE FOREVER”は、日本におけるドラァグクイーンの黎明期に、グロリアス(古橋悌二)、DJ Lala(山中透)、シモーヌ深雪らによって始められた企画。展覧会ではメンバーによるスペシャルインスタレーションも展開されています。
8章「現代から未来へと続く異性装」
公立の美術館がこのようなテーマの企画展を開催するのは、なかなかチャレンジングな試み。その意気込みに拍手を送りたいのに加え、渋谷区立松濤美術館だけでの開催が、もったいないようにも思いました。会期中、一部展示替えがありますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年9月2日 ]