エルサレムにある、イスラエル博物館。先史から現代まで約50万点の文化財を有し、数日かけても見切れないほどの規模を誇ります。
印象派の作品も定評のある同館から、厳選された69点が来日。三菱一号館美術館で開催中の本展には、ビッグネームの画家による豪華な作品が並びます。
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三菱一号館美術館「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜 ― モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン」会場入口
展覧会では、印象派に先駆けた画家たちから、ポスト印象派、そしてナビ派まで、印象派の周辺まで紹介。テーマ別の構成で、第1章「水の風景と反映」から始まります。
印象派の作品において、水の反射と光の動きは重要な要素です。自然の様相を捉えるため、多くの印象派の画家たちは下描きを行わず、直接力ンヴァスに描いていました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コローは印象派より前の画家ですが、戸外での写生を積極的に行いました。三度に渡ってイタリアに滞在、ヴィル=ダヴレーやフォンテーヌブローの森など、母国の自然も題材にしています。
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ジャン=バティスト・カミーユ・コロー《川釣り》制作年不詳
ポール・セザンヌは、ポスト印象派の画家です。自然から受けた感動を、視覚のあり方から問いかけ、独自の作品として昇華させていきました。
《川のそばのカントリーハウス》では、作品の中央に単純化された家を配置しています。奥の情景と鑑賞者は水域で隔てられ、静かな雰囲気を生み出しています。
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ポール・セザンヌ《川のそばのカントリーハウス》1890年頃
展覧会の白眉といえる作品が、クロード・モネの《睡蓮の池》。この展示室は撮影が可能です。
モネは1900年に池をモティーフにした最初の連作を発表しました。この作品は2番目の連作に含まれるもので、水面には雲や空が映り、外の情景を感じさせます。
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クロード・モネ《睡蓮の池》1907年
第2章は「自然と人のいる風景」。バルビゾン派などのフランスの風景画家たちは、風のそよぎや梢の揺らぎなど、自然の小さな変化を画面に表現しました。
印象派の画家たちは、身近な自然の営みを表現するとともに、野外での労働も画題に。それらの主題は、ポスト印象派にも受け継がれました。
《プロヴァンスの収穫期》は、1888年の夏にファン・ゴッホが目にしたであろう、農村生活を描いた作品です。収穫を主題とした6枚の連作のうちの1枚で、素早く大胆なタッチが目を引きます。
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フィンセント・ファン・ゴッホ《プロヴァンスの収穫期》1888年
こちらは2点とも、ゴーガンによる作品。《ウパウパ》は、官能的な動きを伴うタヒチの舞踊で、宗主国であるフランスにより禁止されましたが、ゴーガンはこの植民地主義的な態度に反発。自身の思いを作品に表しています。
《犬のいる風景》は、ゴーガンが亡くなった1903年に描かれた作品。すでに体調が悪化していたゴーガンは、家から見ることのできる山の景色を描きました。黒い犬は、ゴーガンが自身の「野蛮な」分身として用いていたモティーフです。
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(左から)ポール・ゴーガン《ウパ ウパ(炎の踊り)》1891年 / ポール・ゴーガン《犬のいる風景》1903年
第3章は「都市の情景」。バルビゾン派の風景画家たちがほとんど街を描かなかったのに対し、印象派やそれに続く画家たちは、しばしば都市景観そのものを描き出しています。
ファン・ゴッホは1886年からの2年間、弟のテオがいるパリで暮しました。アニエールはパリ近郊で、並置された細長い筆致は印象派に学んだものです。
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フィンセント・ファン・ゴッホ《アニエールのヴォワイエ=ダルジャンソン公園の入口》1887年
第4章は「人物と静物」。それまでのかしこまった肖像画とは異なり、印象派の画家たちは日常生活の何気ない表情を作品にしました。
ルノワールが、友人マダム・ポーランの妻を描いた作品は、夫人は夢を見ているかのような表情。
ルノワールの親友であるウジェーヌ=ピエール・レストランゲの肖像も、伝統的な描法から離れ、モデルの衣服と背景は自由な筆致で描かれています。
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(左から)ピエール=オーギュスト・ルノワール《マダム・ポーランの肖像》1880年代後半 / ピエール=オーギュスト・ルノワール《レストランゲの肖像》1878年頃
ナビ派のピエール・ボナールは、身近な日常から画題を選びました。《食堂》に描かれた人物はボナールの妻、マルトです。
人物は比較的平坦に描かれているのに対し、テーブル上の果物は立体的な描写。壁の幾何学的な線とテーブルクロスの模様が反響して、安定した構図が生まれています。
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ピエール・ボナール《食堂》1923年
出品された全69点のうち、59点は初来日という貴重な展覧会。海外の美術館から、著名な作家の作品がまとまって来日する展覧会は、コロナ禍もあって久しぶりです。
東京展の後、大阪に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年10月14日 ]