大正から昭和にかけて活躍した版画家、川瀬巴水(1883-1957)。浮世絵版画にかわる新しい時代の版画「新版画」で、庶民の生活が息づく四季折々の風景を生涯描き続け、日本の原風景を詩情豊かに表現しました。
巴水の初期から晩年までの木版画作品から、まとめて見る機会の少ない連作を中心に構成した展覧会が、SOMPO美術館で開催中です。
SOMPO美術館「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」会場入口
幼少期から絵を好んでいた巴水は、27歳で正式に鏑木清方に入門。同門の伊東深水の風景木版画に魅せられ、版元の渡邊庄三郎と出会います。
庄三郎も巴水の作風に版画家としての才能を見出し、1918年、塩原を取材した「塩原三部作」で、巴水は版画家デビューを果たしました。
川瀬巴水《塩原おかね路》1918(大正7)年秋 木版、紙 渡邊木版美術画舗
「塩原三部作」の好評を受け、庄三郎はこれ以降の風景画は巴水に依頼。巴水も次々に新作を手掛けていきます。
『東京十二題』は、東京を題材にした風景画シリーズ。現在の港区新橋に生まれた巴水にとって、東京の風景は慣れ親しんだ場所です。
(左手前)川瀬巴水《深川上の橋》東京十二題 1920(大正9)年夏 木版、紙 渡邊木版美術画舗
『三菱深川別邸の図』は、国内外の賓客の接待などに使うため三菱が設けた施設を描いた作品です。
三菱本社から依頼を受け、巴水は全8図を制作。主に海外の関係者に贈答された事もあり、巴水の名は世界にも広がっていきました。
川瀬巴水《洋館より庭園を望む》三菱深川別邸の図 1920(大正9)年 木版、紙 渡邊木版美術画舗
版画家として順風満帆だった巴水ですが、関東大震災で被災。描き溜めていたスケッチを失った巴水は悲嘆に暮れますが、庄三郎の激励もあり、再び画業を進めます。
『東京二十景』は震災から復興しつつあった東京を描いたシリーズです。《芝増上寺》《馬込の月》などが非常に人気を博し、巴水の評価は頂点に達しました。
川瀬巴水《芝増上寺》東京二十景 1925(大正14)年 木版、紙 渡邊木版美術画舗
川瀬巴水《池上市之倉(夕陽)》東京二十景 1928(昭和3)年 木版、紙 渡邊木版美術画舗
渡邊版の中核として活躍を続けた巴水ですが、その人気もあり「広重の模倣」と批判を浴びる事もありました。『東海道風景選集』は、巴水独自の視点を意識したシリーズです。
ただ、巴水自身も代わり映えのしない作品に悩む事が増え、スランプに陥ってしまいました。
(左から)川瀬巴水《名古屋城》東海道風景選集 1932(昭和7)年5月 / 川瀬巴水《鳴海瑞泉寺》東海道風景選集 1932(昭和7)年6月 ともに木版、紙 渡邊木版美術画舗[※前期のみ出品]
そうした中、画家仲間に誘われて、初めて朝鮮を訪れた巴水。異国の風景や新鮮な風俗を目の当たりにし、創作の意欲を取り戻していきました。
その時の写生に基づく『朝鮮八景』『続朝鮮風景』シリーズは、巴水の新たな境地を開き、円熟期に繋がっていきました。
川瀬巴水《金剛山三仙巖》朝鮮八景 1939(昭和14)年8月 木版、紙 渡邊木版美術画舗[※前期のみ出品]
戦後になると、進駐軍の関係者が日本の伝統的な木版画を求めたため、空前の版画ブームが到来。近代日本の風景を描いた巴水の作品は、特に人気を集めました。
米国のパシフィック・トランスポート・ライン社が米国で配布した1953年のカレンダーも、巴水が担当しました。各月のカレンダー台紙に、横大判の版画が1枚ずつ貼られています。
(左手前から)川瀬巴水《十和田湖の秋 1953(昭和28)年カレンダー/11月》 / 川瀬巴水《江の島 1953(昭和28)年カレンダー/8月》 ともに パシフィック・トランスポート・ライン社注文制作作品 1953(昭和28)年カレンダー 木版、紙 渡邊木版美術画舗
会場最後には、スティーブ・ジョブズと巴水について紹介されています。アップル・コンピュータの共同創業者のジョブズは20代後半で来日した際、自ら画廊に足を運んで巴水の作品を購入。その後も蒐集を続けました。
ジョブズの晩年には、自分の部屋に夕景を表した巴水の作品を飾っていたとも伝わります。
(左奥から)川瀬巴水《西伊豆木負》 1937(昭和12)年6月 / 川瀬巴水《上州法師温泉》 1933(昭和8)年12月 ともに木版、紙 渡邊木版美術画舗 ※ともにジョブズが購入したとされる作品と同じもの
渡邊庄三郎との強力なタッグで「日本の原風景」のイメージを構築した川瀬巴水。郷愁や安らぎをもたらす独特の世界は、今でも多くの人々に愛され続けています。
展覧会は東京展の後、大分市美術館に巡回します(2022年1月7日~2月20日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年10月1日 ]