つい先日までアルヴァ・アアルトの大規模展が開催されるなど、日本でも人気が高いフィンランドのモダニズム。その原点を築いたのが、エリエル・サーリネン(1873-1950)です。
フィンランドの独自性から生まれた格調高いデザインを多角的に紹介する展覧会が、パナソニック汐留美術館で開催中です。
パナソニック汐留美術館「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」会場風景
展覧会は「プロローグ ― サーリネンの建築理念を育んだ森と湖の国、フィンランド」から。フィンランドの歴史や文化についての解説です。
1917年、フィンランドはロシアから独立。独立にともないナショナリズムが高揚し、独自の文化と芸術を見つめ直す動きが活発化します。
フィンランドを語る上で、欠かせないのが『カレワラ』。この壮大な民族叙事詩は、フィンランドの芸術家たちにさまざまなインスピレーションを与えました。
(左から)挿絵本「カレワラ」(初版特装版)挿絵とデザイン:アクセリ・ガレン=カレラ 1922年 個人蔵 / 挿絵本「カレワラ」(1941年版)挿絵とデザイン:アクセリ・ガレン=カレラ 1941年 個人蔵
第1章は「フィンランド独立運動期 ― ナショナル・ロマンティシズムの旗手として」。サーリネンは、ヘルシンキ工科大学在学中に出会ったゲセリウスとリンドグレンと共同で、設計事務所を設立。1900年パリ万国博覧会でフィンランド館を設計した彼らは、一躍スポットを浴びる事になります。
本展では文献・資料調査をもとに、フィンランド館の模型が新たに作られました。中世の教会のような外観が特徴的です。
(手前)《1900年パリ万国博覧会フィンランド館模型》2021年
この章では、活動初期の大作に関連する資料も展示。ポホヨラ保険会社ビルディングは、民族叙事詩『カレワラ』から着想した独特な建築装飾が印象的です。
フィンランド国立博物館は、ナショナル・ロマンティシズムの代表的な作品。貴重なオリジナル図面も来日しています。
(上から)《フィンランド国立博物館 1階平面図》高精細複製 ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所 1904年 フィンランド文化遺産局 / 《フィンランド国立博物館 南東側ファサード 立面図》1ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所 1904年 フィンランド文化遺産局
第2章は「ヴィトレスクでの共同制作 ― 理想の芸術家コミュニティの創造」。彼らが設計事務所兼共同生活の場として、ヘルシンキ西方の美しい湖畔に設計したのが、ヴィトレスクです。これはサーリネンの建築の原点といえる作品です。
自然のなかの暮らしの理想として、建築だけでなく暮らしのデザインを含めて構想されたヴィトレスク。イギリスのアーツ・アンド・クラフツからの影響もみられます。
第2章「ヴィトレスクでの共同制作 ― 理想の芸術家コミュニティの創造」
サーリネンはヴィトレスクを愛し、三人のうち唯一、サーリネンだけは、フィンランドを離れるまでの約20年間、ここに住み続けました。渡米後もほぼ毎年、ヴィトレスクに帰省しています。
展覧会の会場には、ヴィトレスクのダイニングルームも再現されています。
ヴィトレスク サーリネン邸のダイニングルームの一部が原寸大で再現されました
第3章は「住宅建築 ― 生活デザインの洗練」、サーリネンがフィンランド時代に手がけた住宅作品です。
優美なインテリアデザインと近代的な合理性という、相反する要素を見事に調和させたサーリネン。
室内の透視図には詳細な描きこみがみられ、サーリネンがトータルデザインを意識していたことがよく分かります。
(左から)《スール・メリヨキ荘 図書室の透視図》高精細複製 エリエル・サーリネン 1903年 フィンランド建築博物館 / 《スール・メリヨキ荘 広間の透視図》高精細複製 エリエル・サーリネン 1902年 フィンランド建築博物館
同時にこの章では、テーブルウエア、テキスタイル、家具など、暮らしを彩るデザインも並びます。
(右手前)《椅子「コティ」》エリエル・サーリネン 1897年 フィンランド・デザイン・ミュージアム
第4章は「大規模公共プロジェクト ― フィランド・モダニズムの黎明」。ヘルシンキ中央駅の駅舎は、1904年の設計競技でサーリネンが個人名で勝ちとりました。
ただ、ナショナル・ロマンティシズム風の外観が議論となり、10年以上に及ぶ設計変更の末に完成しました。
(左)《ヘルシンキ中央駅 正面透視図》高精細複製 ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所 1904-1914年頃 フィンランド建築博物館 / (右上)《ヘルシンキ中央駅 皇帝用待合室透視図》高精細複製 エリエル・サーリネン 制作年不詳 フィンランド建築博物館 / (右下)《ヘルシンキ中央駅 待合室透視図》高精細複製 エリエル・サーリネン 1910年 フィンランド建築博物館
サーリネンは同時に、駅周辺の整備にも携わりました。これらは後に、ヘルシンキ市全体の都市計画にも繋がっています。
この章では、国会議事堂計画案や紙幣のデザインなど、サーリネンが携わった国家的なプロジェクトも紹介されています。
サーリネンがデザインした1922年発行の紙幣
最後は「エピローグ 新天地アメリカ~サーリネンがつないだもの」。サーリネンは1922年に実施されたシカゴ・トリビューン本社ビルの国際設計競技で2等に。2等にもかかわらず大きな反響を呼び、翌1923年に渡米します。
アメリカでは実験的アートスクールの先駆といえるクランブルック美術アカデミーのキャンパスを設計。同校では自ら教鞭をとり、1932年には学長に就任しました。
教え子のひとりが、息子であるエーロ・サーリネンです。エーロも父同様に建築の道に進み、ミッド・センチュリーのアメリカを代表する建築家になりました。
「エピローグ 新天地アメリカ~サーリネンがつないだもの」
美しい会場は、久保都島建築設計事務所(久保秀朗・都島有美)が担当しました。フィンランドの豊かな自然を象徴する「湖」をイメージしたデザインです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年7月2日 ]