撮影・文 [エリアレポーター]
松田佳子 / 2017年7月7日
7月7日、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で「生誕140年 吉田博展 山と水の風景」の内覧会に参加してきました。
吉田博は、明治から昭和にかけて活躍した画家ですが、故ダイアナ妃の執務室に吉田の版画が飾られていたことが知られている為、版画家と思われることが多いかもしれません。
しかし彼の表現は多彩で、本展では200点あまりの水彩、油彩、木版、そして日本画を見ることができます。
吉田博は、1899年書き溜めた水彩画を抱えて、渡米します。当時は日本情緒あふれる水彩の風景画を欧米人は大変好んだといいます。渡米した吉田もデトロイト美術館をはじめ各地で絶賛されます。
1901年の帰国後、当時画壇の中心にあった白馬会に対抗する形で仲間らと太平洋画会を結成します。黒田清輝との対立は逸話の一つとして語り継がれています。
吉田は登山を愛し、山の絵を多く残しています。その眺望は実際に登り、その場に立たなければ描けないものでした。本展も多くの山の絵が出展されています。
吉田の自宅では、夏は山の絵、冬は薔薇の絵を応接間に飾り、来客をもてなしたと言われています。
学芸員・江川均さんのギャラリートーク。吉田の水の表現の素晴らしさを語ってくださいました。
大正9年、版元渡邊正三郎との出会いから、木版画の作成を本格的に始めます。それは、新版画と言われるひとつの分野を築きます。微妙なグラデーションの美しさは30回から場合によっては100回近くも摺りを重ねた結果です。
関東大震災により版元が焼失したことから、私家版という彫りや摺りを吉田自身の指示の元で制作を始めます。
前出の瀬戸内海の海、日本の山の風景だけではなく、世界各地を訪れた思い出も木版画の画題となります。
インドも好んで取り上げられた画題の一つです。もやっとした熱を含む空気を実感できるような作品です。
数少ないながらも、軽妙な楽しいタッチの日本画も出展されていました。
戦争中、吉田は従軍画家として3度中国に赴きました。現在、戦争画という形では作品はほとんど残されていないようですが、写生帖が当時を思わせます。
本展は時系列に6章立てで構成され、吉田博の初期から晩年までをたどっていくことができます。多くの渡航経験から最新の欧米絵画の流れを会得しただけでなく、それを消化し日本人としてどんな表現ができるかを模索していったことが、海外での評価が高まった理由のひとつともいえるでしょう。
※会期中に展示替えがあります。
後期展示期間:8/1(火)~8/27(日)
エリアレポーターのご紹介
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松田佳子
湘南在住の社会人です。子供の頃から亡き父のお供をして出かけた美術館は、私にとって日常のストレスをリセットしてくれる大切な場所です。展覧会を楽しくお伝えできたらと思います。
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