江戸時代の元禄年間(1688~1704)前後に活躍した絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう 1652~1724)。独自の都市風俗画は広く愛され、英(はなぶさ)派と呼ばれる一派が形成されるなど、大きな勢力を誇りました。
一蝶の没後300年を記念し、各地の優品を集めた展覧会「没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―」が、サントリー美術館で開催中です。
サントリー美術館「没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―」会場入口
英一蝶は承応元年(1652)京都生まれ。後に一家で江戸に下り、狩野安信に入門。江戸狩野派の技術と、古典の教養を身につけるも、次第に狩野派の枠におさまらないような、独自の世界を確立していきました。
その礎となったのが、俳諧の人々との交友。松尾芭蕉らと交わるなかで、感性が磨かれていったと思われます。
冒頭の《四条河原納涼図》《投扇図》は、ともに生き生きとした人物の描写が特徴的です。
「没後300年記念 英一蝶」展示風景 (左から)《四条河原納涼図》一幅 千葉市美術館 / 《投扇図》一幅 板橋区立美術館[ともに展示期間:9/18~10/14]
《雑画帖》は山水、人物、花鳥などさまざまな画題を扱った全36図の画帖です。
狩野派色の強い作品や、中国画家に倣ったもの、写生に基づく作品、古典画題をアレンジした戯画などバラエティ豊かで、活動の初期の幅広い画域を示す代表作です。
「没後300年記念 英一蝶」展示風景 (右)雑画帖のうち《寒山拾得図》 (左)《破傘人物図》一帖のうち二面 大倉集古館 [本場面の展示期間:9/18〜10/14]
大きな人気を集めていた一蝶ですが、元禄11年(1698)、三宅島へ流罪となります。「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いでしたが、実際の理由は別とされており、いずれにしても島流しは原則無期であったため、二度と江戸に戻れないことを意味しました。
ただ、一蝶は配流中も精力的に活動を続け、〈島一蝶〉とされるこの時期の作品は、一蝶の画業を象徴するものとして、高く評価されています。
《吉原風俗図巻》(部分)一巻 元禄16年(1703)頃 サントリー美術館[会期中場面替]
《神馬図額》は、三宅島南方の御蔵島の稲根神社に伝わった絵馬です。
三宅島に流されてから半年も経たないうちに手掛けたもので、たてがみや尾の一本一本まで丁寧に描かれています。
「没後300年記念 英一蝶」展示風景 (手前)《神馬図額》一面 元禄12年(1699)頃 東京・稲根神社[通期展示]
宝永6年(1709)、将軍綱吉死去にともなう代替の大赦により、江戸に戻ることを許された一蝶。画名を「英一蝶」として旺盛な制作を続けました。
「今や此の如き戯画(風俗画)を事とせず」と、得意の風俗画から離れることを宣言し、仏画や花鳥画などが増えていきますが、それでも一蝶ならでは目線を感じさせる味わい深い作品を描いています。
《舞楽図・唐獅子図屛風》は、表面に舞楽、裏面に唐獅子を描いた両面屛風。一蝶にしては珍しい大作で、人物の顔の表現に、一蝶の特徴が現れています。
《舞楽図・唐獅子図屛風のうち 舞楽図》六曲一双(表)メトロポリタン美術館[通期展示]
《舞楽図・唐獅子図屛風のうち 唐獅子図》六曲一双(裏)メトロポリタン美術館[通期展示]
一蝶にとって特別な主題だったのが、雨宿り。晩年の大作が2点残っており、10月14日までの展覧会前期では、ふたつの作品を比べて鑑賞することができます。
東京国立博物館蔵の作品には、年齢や職業がことなるさまざまな人が門の下で雨宿り。不思議な一体感が生まれています。
《雨宿り図屛風》六曲一隻 東京国立博物館[展示期間:9/18~10/14]
メトロポリタン美術館蔵の作品もほぼ同じ構成ですが、雨で水量が増した水辺と、塗れた竹藪が右側に描かれるなど、情景の描写がより充実しています。
こちらの方が先に描かれた作品と見られています。
《雨宿り図屛風》六曲一隻 メトロポリタン美術館[通期展示]
一蝶の全容を網羅し、その画業と人物像に迫る過去最大規模の回顧展。自由でのびやかな描写で、思わず微笑んでしまうような作品も数多く見られます。
展覧会は会期中に大幅な展示替えがあるので、できれば前後期の両方ともに見たいところです。重要文化財《布晒舞図》(遠山記念館蔵)は10月16日からの展示となります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年9月17日 ]
※作品はすべて 英一蝶