高い人気を誇り、何度も開かれている暁斎展。この項でも2015年「画鬼・暁斎 ─ KYOSAI」(三菱一号館美術館)、2017年「ゴールドマン コレクション これぞ暁斎!」(Bunkamura ザ・ミュージアム)、2018年「暁斎・暁翠伝」(東京富士美術館)と、ほぼ毎年ご紹介しています。
今回は7章で、暁斎の画業を網羅的に展示。中でも狩野派絵師としての暁斎の位置づけと、古画からの学習を中心的に取り上げます。
第1章「暁斎、ここにあり!」は、暁斎を代表する名品から。暁斎は明治14年(1881)に第二回内国勧業博覧会で妙技二等賞牌(事実上の最高賞)を受賞。受賞作の《枯木寒鴉図》はカラスの水墨画ですが、同時に出品した《花鳥図》は鮮やかな着色画と、会場冒頭から画域の広さが伺えます。
第2章は「狩野派絵師として」。暁斎が狩野派の門弟になったのは10歳の時。異例の早さで修行を終えた後も、狩野家との関係は晩年まで続きました。狩野派での鍛錬は、暁斎を支える土台といえます。
第3章は「古画に学ぶ」。古画を自らの作品に昇華させていった暁斎。暁斎自身が挿絵を描いた伝記『暁斎画談』には雪舟、狩野派、土佐派、円山派、そして春信や歌麿などの浮世絵まで、多くの模写が掲載されています。
第4章は「戯れを描く、戯れに描く」。最初の師である歌川国芳も戯画を得意にしていた事から、暁斎の戯画は「師匠譲りの…」という文脈で紹介されがちでしたが、本展では戯画も狩野派に着目。暁斎は狩野探幽が描いた戯画も所持していました。
第5章は「聖俗/美醜の境界線」。修行時代に生首を写生した一件もあり、死者や幽霊は暁斎を代表する画題のひとつです。ただ、暁斎が描く‘死’は、‘生’の隣にあるもの。美と醜、聖と俗も同様で、ひとつの画面で双方を意識させます。
第6章「珠玉の名品」は画帖を特集。画面が小さいため、大作に比べるとどうしてもパンチ不足ですが、特定の注文主のために作られた画帖は、細部まで入念に描かれており、とても高品質です。本来は手元で見るものなので、近寄ってお楽しみください。
最後の第7章は「暁斎をめぐるネットワーク」。暁斎の周辺には多くの人が集いました。お雇い外国人の建築家、ジョサイア・コンドルは暁斎の弟子になり、暁英を名乗るほど。暁斎没後には研究書を出版し、暁斎の名は世界に広がりました。
天性の技を支えているのは、絶え間ない修練。どのジャンルでも同じですね。会期中に細かな展示替えが何度かありますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年2月5日 ]