前回の展示では入場制限を実施したほどの人気作、葛飾応為(生没年不詳)の《吉原格子先之図》が3年半ぶりに登場。
あわせて、菱川師宣から小林清親まで館蔵の肉筆浮世絵がずらりと並ぶ豪華な展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館「葛飾応為『吉原格子先之図』」会場
2020年の「開館40周年記念 太田記念美術館所蔵 肉筆浮世絵名品展 ―歌麿・北斎・応為」以来となる《吉原格子先之図》は、会場冒頭に早速登場します。
葛飾応為は北斎の三女。絵師に嫁ぎますが離縁されて戻り、晩年の北斎の傍らで作画を手伝いました。卓越した画力を持ち、特に美人画については、北斎自身も及ばないと語ったそうです。
作品は、新吉原の妓楼、和泉屋を描いたもの。自らの姿を見せる遊女たちがシルエットで描かれるなど、西洋風の陰影表現が目をひきます。
葛飾応為《吉原格子先之図》文政~安政(1818~60)頃
第1章は「人を描く」。寛文美人図の流れもあり、肉筆浮世絵では掛け軸に一人立の女性像を描いた作品が定番で、特に初期浮世絵時代には多くの作品が描かれました。
懐月堂安度が率いた懐月堂派は、工房で肉筆美人画を多数制作。堂々とした体躯やカ強い衣紋線は、懐月堂派の典型的な人物表現です。
(左から)懐月堂派《立美人図》宝永~正徳(1704~16)頃 / 梅祐軒勝信《若衆立姿図》正徳~享保(1711~36)頃
こちらは、笑みを浮かべる遊女が描かれた作品。大きな髪飾りと前結びの帯で、とても豪華な印象です。打掛の孔雀の羽根は、毛が飛び出ていることから、模様ではなく縫い付けられていることも分かります。
作者の歌川豊清は、歌川豊広の子。歌川豊国に入門し、美人画などで卓越した作品を残していますが、残念ながら早世しました。
歌川豊清《花魁立姿図》文化9~文政3年(1812~30)頃
第2章は「市井を描く」。肉筆浮世絵には、江戸市中を中心とした、町のにぎやかな光景もしばしば描かれました。
浅草寺付近を描いた《浅草寺図》では、駕籠で訪れた高貴な身分の少女や、門前で商売をする商人たちなど、さまざまな人々をにぎやかに描写。右上には、風雷神門(雷門)と思われる建物も描かれています。
作者不詳《浅草寺図》江戸時代前期(1603~1700)頃
宮川長亀の《吉原格子先之図》は、吉原遊廓内の光景を描いたもの。男性たちが格子越しに遊女を品定めし、遊女は客を得ようと視線を送っています。
《浮絵歌舞伎劇場内の図》は、歌舞伎劇場内を描いた作品です。揚幕の紋から中村座だとわかります。作者は役者絵を専門とした鳥居派の絵師と思われ、透視図法を元にした「浮絵」の技法が用いられています。
(左から)宮川長亀《吉原格子先之図》享保~寛延(1716~51)頃 / 鳥居派《浮絵歌舞伎劇場内の図》宝暦7年(1757)頃
第3章は「風景を描く」。浮世絵で純粋に風景を主眼においた作品が描かれるようになった時期は意外に遅く、本格的な流行は、北斎や広重が人気になった天保(1830〜44)以降です。
広重は晩年に肉筆画で江戸や諸国の風景を盛んに描きました。会場には日光の有名な3つの滝を描いた三幅対と、上州三山のうち妙義山と榛名山を題材にした三幅対が並びます。
(左3幅)歌川広重《日光山華厳ノ滝(右)、日光山霧降ノ滝(中)、日光山見ノ滝(左)》嘉永2~4年(1849~51)頃 / (右3幅)歌川広重《上野榛名山雪中(右)、上野妙儀山雨中(中)、上野中ノ嶽霧晴(左)》嘉永2~4年(1849~51)頃
第4章は「物語を描く」。古くから伝わる説話や歴史上の物語、創作された話などに登場する人物も、肉筆浮世絵に描かれました。
《神功皇后図》は、神功皇后の三韓征伐を題材にした作品。右幅に神功皇后、左幅に生まれたばかりの皇子(のちの応神天皇)を抱く武内宿禰が描かれています。作者の二代葛飾戴斗は、葛飾北斎の弟子です。
二代葛飾戴斗《神功皇后図》文政~嘉永(1818~54)頃
太田記念美術館の展覧会で、肉筆画だけで構成されるのも、2020年に葛飾応為《吉原格子先之図》が公開された時以来なので、約3年半ぶり。版画と違ってサイズが大きいことに加え、肉筆画はそれぞれの絵師の力量がダイレクトにに感じられることもあり、見どころたっぷりです。
一般的に展覧会は、会期後半が混む傾向があります。お早めにどうぞ。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年10月31日 ]