皆さんは「人形」といえば、何を思い浮かべるでしょうか? 検索ワードでは雛人形、五月人形、リカちゃん人形などが多いようですが、それらは芸術でしょうか?
民俗、考古、工芸、彫刻、玩具、現代アートと、ジャンルを越えてつくられ続けられている、日本の人形。人形を通して「芸術」そのものを考えていく展覧会が、渋谷区立松濤美術館で開催中です。
渋谷区立松濤美術館「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」会場
人形とはヒトガタ(ヒトのカタチ)。縄文時代の土偶、弥生時代の植輪など、日本では古来より多くの人形がつくられてきました。
《オシラサマ》は東北地方で信仰される「オシラ神」を表した像です。家の神、養蚕の神、目の神、また仏として信仰されました。
《オシラサマ》江戸時代 日本人形博物館
明治時代に入ると、西洋から日本に「Sculpture」という概念がもたらされます。そもそもSculptureはモニュメントやメダルなども含む概念ですが、日本では次第に「像を表した立体物」すなわち「彫刻」になり、人形はその枠から外れていきました。
博多人形の名匠・小島与一の代表作《三人舞妓》は人形ですが、現在の目線では彫刻にも思えます。
小島与一《三人舞妓》大正13(1924)年 アトリエ一隻眼
彫刻と区別された事で、人形は「美術」の枠から外れますが、これに対抗したのが「人形芸術運動」です。
帝国美術院美術展覧会(帝展)第四部の美術工芸部門への参入を目指して、さまざまな団体が誕生。ついに昭和10(1935)年、帝展への人形出品が可能になりました。
平田郷陽は、この時代の代表的な作家のひとりです。後に重要無形文化財保持者、いわゆる「人間国宝」に認定されています。
(左から)平田郷陽《洛北の秋》昭和12(1937)年 国立工芸館/ 平田郷陽《児と女房》昭和9(1934)年 横浜人形の家[展示期間:7/1~7/31]
「リカちゃん人形」に代表されるように、人形といえば子どもたちに夢と憧れをあたえる存在でもあります。
画家・イラストレーターの中原淳一は、17歳で竹久夢二の人形と出会って感銘を受け、自らも人形を制作するようになりました。
中原淳一《無題》昭和42(1967)年 個人蔵
生人形(いきにんぎょう)は、幕末から明治初頭にかけて、大阪・難波新地や東京・浅草などで行われた見世物。歴史物語などの一場面を、リアリティあふれる人形で見せました。
あくまでも興行の産物で、流行が過ぎると忘れられていきましたが、1990年代になると美術の分野でも語られるようになっています。
(左奥)安本亀八《生人形 束髪立姿明治令嬢体》〔頭部のみ〕明治40(1907)年 東京国立博物館 / (手前)安本亀八《生人形 源平時代大将体立姿》〔頭部のみ〕明治時代・20世紀 東京国立博物館 / (右)《生人形 源平時代侍体坐像》〔頭部のみ〕明治時代・20世紀 東京国立博物館
商業に人形が結びつくと、マネキンになります。明治30年代には、生人形師が衣装展示用の人形を製作。洋装マネキンは輸入されていましたが、後に国内で生産されるようになりました。
荻島安二の《マネキン》は、日本で現存する最も古い等身大洋装マネキンのひとつです。荻島は朝倉文夫の門人で、官展でも活躍した彫刻家でした。
(左手前)荻島安二《マネキン》大正14(1925)年 株式会社 七彩
展覧会の最後は、現代の作家による人形です。BOME(ぼーめ)は、海洋堂に所属する名原型師で、アニメや漫画を素材にした美少女フィギュアを得意としています。
村上隆はBOMEの協力のもと《Ko²ちゃん(Project Ko²) 》を制作・発表。オタク文化のイメージを詰め込んだ作品は、世界のアートシーンに衝撃を与えました。
村上隆《Ko²ちゃん(Project Ko²) 》1/5原型制作:BOME(海洋堂) 平成9( 1997)年 個人蔵 ©1997 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
取材制限の関係で写真はご紹介できませんが、第9章では性愛の対象としての人形を紹介。「秘宝館」の人形とラブドールも展示されています(18歳以下は鑑賞禁止)。
以前はダッチワイフと呼ばれていたラブドールは、美の象徴といえるほど驚くべき進化を遂げています。現代アートでも取り上げられるようになっています。
人形に求める思いは、人それぞれ。それが芸術であるか否かを議論する事は、ほとんど意味がないことにも気付かされます。
相当密度が濃く、充実の展覧会です。渋谷区立松濤美術館だけでの開催がもったいないと思いました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年6月30日 ]