バルセロナを中心に活動した建築家、アントニ・ガウディ(1852-1926)。バルセロナ市内に残るユニークな造形は、世界中の人々を魅了し続けています。
ガウディ建築を象徴する傑作で、いよいよ完成の時期が視野に収まってきたサグラダ・ファミリア聖堂を中心に、ガウディの建築思想と造形原理を読み解いていく展覧会が、東京国立近代美術館で開催中です。
東京国立近代美術館「ガウディとサグラダ・ファミリア展」会場入口
展覧会の第1章は「ガウディとその時代」。ガウディはバルセロナ南西のレウス市生まれ。16歳でバルセロナに移り住み、建築家を志してバルセロナ建築学校に進みました。
ガウディが学生時代に残した設計図面を見ると、歴史的、古典的な建築様式を学ばせる、当時の教育方針が分かります。
(左から)アントニ・ガウディ《大学講堂、平面図(卒業設計〈建築家資格認定試験〉)》ファクシミリ(オリジナル:1877年)ガウディ記念講座、ESTAB / アントニ・ガウディ《大学講堂、横断図(卒業設計〈建築家資格認定試験〉)》ファクシミリ(オリジナル:1877年)ガウディ記念講座、ESTAB
この章には、ガウディのデスマスクも展示されています。1926年、73歳のガウディはミサに向かう途中で縁石につまずいて転倒。路面電車にはねられてしまいました。
重体のまま3日後に死去。遺言に従って質素な葬儀が行われましたが、遺体を運ぶ馬車の後ろには長い行列ができ、街路は市民で埋め尽くされたと伝わります。
ジュアン・マタマラ《ガウディ(デスマスク)》1926年以降 サグラダ・ファミリア聖堂
第2章は「ガウディの創造の源泉」。天才と称されるガウディが、いかにしてかたちを生み出すのか、その源を探ります。
晩年のガウディが弟子たちに残した言葉で、しばしば出てくる単語が「生命」。ガウディは自然を観察・研究し、制作に活かしていきました。
カサ・バッリョやカサ・カルベートのためにデザインした椅子は、ガウディ円熟期の作品です。人間の姿勢を受け止めるやわらかな造形が特徴的です。
(左から)アントニ・ガウディ《カサ・バッリョ、ベンチ(複製)》1984-85年 西武文理大学 / アントニ・ガウディ《カサ・カルベート、スツール(複製)》1984-85年 西武文理大学
ガウディは、合理的な構造には「釣り合いの法則」が必要だと考えていました。トレードマークであるパラボラ(放物線)アーチも、釣り合いの取れたアーチと呼んでいます。
「釣り合いの法則」を探るため、コローニア・グエル教会堂の設計では、天井から紐、おもり、薄い布をぶら下げながら形を検討する「逆さ吊り模型」を使っています。
ただ「逆さ吊り模型」に10年の歳月をかけたものの、建物は半地階のみで未完に終わっています。
《コローニア・グエル教会堂、逆さ吊り実験》1984-85年 西武文理大学
第3章は、展覧会のメインといえる「サグラダ・ファミリアの軌跡」。ガウディが全建築家人生を捧げ、自らの遺体も埋葬されているサグラダ・ファミリア聖堂について紹介されています。
サグラダ・ファミリア聖堂は、1882年に着工。あまり知られていませんが、ガウディは翌年に就任した2代目の建築家です。財政難による建設中断や、スペイン内戦による被災など、さまざまな困難を乗り越えて建設が進んでいます。
工事中のサグラダ・ファミリア聖堂の変遷。一番手前は1891年。
サグラダ・ファミリアを建設しているのは、貧しい人々による民間団体である「聖ヨセフ信心会」です。建設資金は会員による少額献金で集められ、貧しい人々がさらに犠牲を払うことから、聖堂の正式名称に「贖罪」が入っています。
1874年の建設提案から着工までの8年間は、生みの苦しみの時代でした。
第3章「サグラダ・ファミリアの軌跡」展示風景より (右手前)《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》2001-02年 西武文理大学
東側のファサードは、サグラダ・ファミリア聖堂の大きな見せ場である「降誕の正面」です。
スペイン独特のファサードである「前方祭室」として、扉口空間はイエスの生涯を表した浮彫や彫像で装飾されています。
ガウディは1891年の巨額献金で「降誕の正面」を建設。その後に全体の計画案を完成させ、他のすべての仕事から手を引き、聖堂に専念していきました。
第3章「サグラダ・ファミリアの軌跡」展示風景より 「降誕の正面」の塑像断片など
サグラダ・ファミリア聖堂は、高さ172.5メートルのイエス・キリストの塔(建設中)を中心に、マリアの塔、福音書作家の塔、12使徒の鐘塔と、多くの塔が林立します。
鐘塔の頂点を飾る頂華は、20種もの案がありました。1925年に最初の塔が完成すると、ガウディは「大地と天が結ばれるようだ!」と喜んだと伝わります。
《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:鐘塔頂華の模型》2005-10年 サグラダ・ファミリア聖堂
最後の第4章は「ガウディの遺伝子」。ローカルな自然や文化との関係についてなど、建築に対するガウディの思想は、さまざまな形で後世に影響を与えてきました。
生前からバルセロナでは崇敬を集めていたガウディですが、1950年代末になると世界的にも評価が確立しました。さまざまな写真家が写真集を刊行。日本でも二川幸夫、細江英公、篠山紀信らがガウディ建築に取り組んでいます。
第4章「ガウディの遺伝子」展示風景
現在のサグラダ・ファミリア聖堂は、ガウディの没後100年にあたる2026年に十字架を載せたイエスの塔を完成させる予定で工事が進行中。その後に、栄光の正面(大正面)の建設が進められます。
展覧会は巡回展。東京展の後に滋賀、愛知と巡回します。会場と会期はこちらです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年6月12日 ]
※会期中一部、展示替えあり