路傍に佇む守り神として、しばしば目にする「お地蔵さま」。地蔵菩薩は、日本では平安時代から本格的に信仰されるようになり、地域や時代を超えて崇められてきました。
館蔵品を中心に、地蔵菩薩を表現した仏画や仏像を中心に紹介する展覧会が、根津美術館で開催中です。
根津美術館「救いのみほとけ」展 会場入口
まずは地蔵菩薩の紹介から。サンスクリットの発音で「大地」を「蔵」するものとして表されていた地蔵菩薩は、中国で地蔵と訳され、日本に伝わりました。
本展は初公開の作品が多く、冒頭の《地蔵菩薩像》も初公開です。奈良国立博物館所蔵のものと細部まで図様が一致しており、この姿が一定の信仰を集めていたのかもしれません。
《地蔵菩薩像》鎌倉時代 14世紀
今でこそ広く信仰されている地蔵ですが、日本に伝わった奈良時代の経典には、あまり見られません。
数少ない例のひとつが、光明皇后が発願した一切教に含まれる《大方広十輪経 巻第四(五月一日経)》です。光明皇后は、地蔵菩薩像と虚空菩薩像も造らせたと伝わります。
《大方広十輪経 巻第四(五月一日経)》奈良時代 8世紀
比叡山の僧・源信が、極楽往生のためには一心に阿弥陀に祈り念仏を唱えるしかないと説くと、地蔵は阿弥陀に従って人々を救済するほとけとして重視されていきました。
《矢田地蔵縁起絵巻》は、毎月決まった日に奈良の金剛山寺(通称矢田寺)で地蔵菩薩に祈願すると、地獄での責め苦から救済されるという霊験を示した絵巻です。
重要美術品《矢田地蔵縁起絵巻》室町時代 16世紀
鎌倉時代に入ると、阿弥陀を心に念じてその名を唱えれば、地獄に落ちずに極楽往生できるという浄土教が確立。対して旧仏教の復興に努めた僧侶たちは、地蔵信仰を強調しました。
ここで紹介されている《地蔵菩薩像》は、通常とは両手の上げ下げが逆という珍しい像。こちらも初公開です。
《地蔵菩薩像》室町時代 15世紀
死後に衆生が輪廻転生する六種の世界(天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)の六道で、最下層が地獄です。地蔵は、地獄での苦しみから亡者を救う存在とみなされるようになりました。
《地蔵菩薩本願経変相図》は、上部には地蔵と十王など眷属たちを白で、下部の地獄図を着色で描いた、朝鮮仏画の中でも珍しい作品です。こちらも初公開です。
(右)《地蔵菩薩本願経変相図》朝鮮・朝鮮時代 16世紀
朝鮮半島では10世紀頃に地蔵信仰や十王の思想が中国から伝わり、高麗時代には地蔵三尊像や地蔵十王像など、様々な地蔵図が制作されました。
《地葳諸尊龱》は朝鮮時代の作品です。地蔵とともに多数の眷属たちが濃彩で描かれています。
(左から)《地蔵諸尊図》朝鮮・朝鮮時代 16世紀 / 《地蔵菩薩像》朝鮮・高麗時代 14世紀
地蔵の造像を見ると、奈良時代の現存作品はありませんが、平安時代以降には増加。禅宗寺院の本尊として祀られた例もあり、その後も時代や宗派を超えて造られてきました。
重要文化財《地蔵菩薩立像》は、久安3年(1147) に源貞兼らを願主として、仏師僧・快助が造立したものです。在銘の地蔵菩薩像としては最古の作品です。
重要文化財《地蔵菩薩立像》平安時代 久安3年(1147)
最後にご紹介した重要文化財《地蔵菩薩立像》は第2室での展示ですが、この展示室で作品が露出展示されるのは、かなりレアです。根津美術館に何度も来ている方は、少し驚くと思います。
時代とともに役割が変わっていった「お地蔵さま」。展覧会で、さまざまな表現をお楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年5月26日 ]