近代日本画といえば、東京なら横山大観や菱田春草、京都なら竹内栖鳳や上村松園。では大阪は?
明治から昭和前期に大阪で生まれた日本画に光をあて、大阪中之島美術館が収集したコレクションを中心に紹介する展覧会が、東京ステーションギャラリーで開催中です。
東京ステーションギャラリー「大阪の日本画」会場入口
展覧会は6章構成ですが、会場の都合で章番号とは異なった動線です。ここでは会場順に沿ってご紹介します。
まずは「ひとを描く ― 北野恒富とその門下」。北野恒富は現在の金沢市生まれ。明治30年に大阪に渡り、新聞挿絵やポスター制作を経て、大阪を代表する画家になりました。描かれた人の内面まで表現するような作品が特徴的です。
(左から)北野恒富《涼み》大正15年 大阪中之島美術館[展示期間:4/15~5/14] / 北野恒富《摘草》明治40年代 大阪中之島美術館[全期間展示]
続いて「文人画 ― 街に息づく中国趣味」。江戸時代には都への玄関口だった大坂では中国趣味が栄え、水墨山水画に賛を加えた文人画(南画)が流行しました。
明治以降にもその流行は続き、西日本を中心に各地から文人画家が集まり、数々の作品を描きました。
(左から)田能村直入《花鳥図》弘化4年(1847)滋賀県立美術館[展示期間:4/15~5/14] / 河邊青蘭《武陵桃源図》明治41年 大阪中之島美術館[全期間展示]
次は「船場派 ― 商家の床の間を飾る画」。船場(せんば)は多くの商家が軒を連ね、市民文化の中心だった場所です。これら商家の床の間を飾ったのが船場派の作品でした。
船場派にはいくつかの系譜があるものの、彼らの注文に応えて求められた絵を描いたことから、もっとも大阪らしい絵画ともいえます。
(左から)西山完瑛《朝波仙禽図》幕末~昭和初期 個人蔵 / 西山芳園《黄稲群禽図》幕末 個人蔵 / 庭山耕園《白雁鶏頭図》大正10年 大阪中之島美術館[展示期間:いずれも4/15~5/14]
下のフロアに進み「新たなる山水を描く ― 矢野橋村と新南画」。矢野橋村は現在の愛媛県今治市生まれ、明治40年に大阪に移住しました。日本の風土にもとづき、近代的感覚を盛り込んだ「新南画」を確立。その作品は大阪で好意を持って受け入れられました。
橋村の「新南画」は、北野恒富らの「人物画」とならんで、大阪を代表する日本画といえます。
(左から)矢野橋村《湖山幽嵒》大正4年 大阪中之島美術館 / 矢野橋村《柳蔭書堂図》大正8年 愛媛県美術館[展示期間:ともに4/15~5/14]
次は「文化を描く ― 菅楯彦、生田花朝」。古き良き大阪庶民の生活を描いた「浪速風俗画」で人気を博したのが菅楯彦です。大阪の特質を表現した作品は人々に愛され、大阪市名誉市民の第1号にも選ばれました。
生田花朝は楯彦の弟子です。その作風を受け継ぐ一方で、軽妙でユーモラスな作品も残しています。
菅楯彦《管絃船図》大正前期 大阪中之島美術館[展示期間:4/15~5/14]
最後が「新しい表現の探求と女性画家の飛躍」。大都市であった大阪は、明治末から大正にかけて複数の新聞社や出版社が本社を構えたこともあり、全国から多くの画家が仕事を求めて集まりました。
また、大阪では子女が教養のために絵を習うなど、女性画家が生まれる土壌がありました。島成園や木谷千種など、多くの女性画家も活躍しています。
島成園《祭りのよそおい》大正2年 大阪中之島美術館[全期間展示]
明治時代に、東京ではアーネスト・フェノロサが文人画を排除したものの大阪では好まれるなど、価値観が違ったことに加え、岡倉天心も大阪の美術に関心を持たなかったことなどから、これまで大阪の日本画にはあまり注目が集まりませんでした。
東京にいながら、これほどの規模で大阪の日本画を見られる機会は、今後もほとんどないと思われます。大阪から巡回し、東京展が最終会場です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年4月14日 ]