自然や人工の素材を、節制した姿勢で組み合わせて提示する「もの派」。李禹煥(リ・ウファン、1936-)は、国際的にも大きな注目を集めてきた「もの派」を代表する美術家です。
李の初期作品から新作までを網羅し、その創造の軌跡を紹介する展覧会が国立新美術館で開催中です。
国立新美術館「李禹煥」展
会場に入る前に、美術館の前にも作品があります。《関係項―エスカルゴ》は、ステンレスの板を立て、渦巻き状にした作品。作品の中に入っていくと、途中から鏡面仕上げになっており、歪んだ自分の姿が映り込みます。
本展は、李禹煥が自ら展示構成を考案しました。1960年代の最初期の作品から最新作まで、李の仕事と経過と性格を網羅的に浮き彫りにするものです。
李禹煥《関係項 ― エスカルゴ》2018/2022年 作家蔵
韓国南部の慶尚南道、咸安郡で4人兄弟の長男として生まれた李。幼い頃は一種の文人教育として詩、書、画を学び、点の付け方や線の引き方は後の作風にも影響を与えています。
1956年に叔父の病気見舞いで来日した後、そのまま日本に残って、日本大学文学部哲学科を卒業。一時は日本画を学ぶなどさまざまな試行錯誤を経て、美術家としての活動を進めていきます。
展覧会冒頭に展示されるカンヴァスにピンクの蛍光塗料を用いた三連画は、東京国立近代美術館で開催された「韓国現代絵画」展(1968年)に出品された、李の初期の代表作。視覚を攪乱させるような錯視効果を強く喚起します。
李禹煥《風景Ⅰ, Ⅱ, Ⅲ》 1968/2015年 個人蔵(群馬県立近代美術館寄託)
初期作品の後は、会場は彫刻と絵画の2つのセクションに大きく分かれており、それぞれがほぼ時系列に沿って展示されています。
石、ガラス、鉄板などを用いた〈関係項〉は、今日まで制作され続けているシリーズ。木製の角材が組み合わさって置かれた作品や、鉄板が少しずつ位置をずらしながら壁から床に設置された作品などは、同時代のミニマル・アートの傾向との一致も見られます。
李禹煥《関係項(於いてある場所)Ⅰ 改題 関係項》1970/2022年 作家蔵
2000年代になると、ほとんど未加工のままだった金属に、わずかに動きが見られるようになります。
金属の柱が自重で彎曲したり、対峙する石に反応して鉄板がわずかに反るように見せるなど、物と物の関係は、従来より軽やかなイメージに変化していきます。
(手前)李禹煥《関係項 ― 彼と彼女》2005/2022年 作家蔵 / (奥)李禹煥《関係項 ― 不協和音》2004/2022年 作家蔵
2010年以降、李は海外の美術館などで大規模な個展を立て続けに開催。香川県直島、韓国、フランスに個人美術館も開館するなど、活動の幅を大きく拡げていきました。
〈関係項〉も新たな展開をみせ、作品の内部や上を歩くといった行動を鑑賞者に促すようになります。《関係項 ― 棲処(B)》は、ル・コルビュジエが設計したラ・トゥーレット修道院(フランス・エヴ―)で発表されたもので、鑑賞者が歩くと、敷き詰められた玄昌石の音が館内に響きます。
李禹煥《関係項 ― 棲処(B)》2017/2022年 作家蔵
《関係項 ― 鏡の道》は、両脇に石が置かれた鏡面仕上げの一本道。一瞬、躊躇しますが、これも道の上を歩くことを促しています。
フランスでの展示では屋外に設置され、鏡面に映る周辺の風景が、移り変わるさまを見せるものでした。
李禹煥《関係項 ― 鏡の道》2021/2022年 作家蔵
野外展示場にも作品が展示されています。
アーチ状に曲がったステンレスの両脇に石が置かれ、アーチを潜るようにステンレスの長い板があります。
同様の作品は、2014年にヴェルサイユ宮殿の展覧会で展示され、2019年には李禹煥美術館に恒久設置されていますが、3点はいずれも寸法が異なっています。
李禹煥《関係項 ― アーチ》2014/2022年 作家蔵
展覧会の後半は、絵画です。李は1971年にニューヨーク近代美術館で見たバーネット・ニューマンの回顧展を見て、幼少期に学んでいた書を思い起こして、絵画への関心を深めていきました。
カンヴァスに規則正しく点や線を描くうちに、次第に薄らいで消えていく。当初は禁欲的な作風でしたが、後に秩序だった構成は放棄され、不規則な描写へと変化していきました。
(左から)李禹煥《点より》1973年 いわき市立美術館 / 李禹煥《点より》1977年 東京国立近代美術館
2000年代に入ると、李の絵画は大きな刷毛を使い、たっぷりとした絵の具の溜まりをもった筆触の1点、あるいは2・3点が、広大なカンヴァスに描かれる〈対話〉シリーズへと発展します。
李は、しばしばカンヴァスだけでなく壁面にも筆を入れます。本展でも、国立新美術館の壁面に《対話 ― ウォールペインティング》が描かれています。
李禹煥《対話 ― ウォールペインティング》2022年 作家蔵
近年も世界中で展覧会が開催され、その活動にはいつも注目が集まる李禹煥ですが、国内での大規模な展覧会は「李禹煥 余白の芸術展」(横浜美術館、2005年)以来。東京では初というのは、やや意外に思えます。
会場全体で、李禹煥ならではの世界にどっぷりと浸れる展覧会。東京展の後は、兵庫県立美術館に巡回します(2022年12月13日〜2023年2月12日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年8月9日 ]