世界有数のファッションブランド、シャネルを創業したガブリエル・シャネル(1883-1971)。「20世紀で最も影響力の大きい女性デザイナー」といわれ、その創作はモードを一新させるほど世界中に大きな影響を与えました。
2020年にガリエラ宮パリ市立モード美術館で開催され、大きな反響を呼んだ「Gabrielle Chanel. Manifeste de mode」展が日本向けに再構成され、三菱一号館美術館で開催中です。
三菱一号館美術館「ガブリエル・シャネル展」会場入口
会場に入ると、黒一色にドレスが浮かび上がるドラマチックな空間。展示室をつなぐ入口には光のラインが走り、まるでSFのようです。三菱一号館美術館に何度も来た事がある人でも、きっと驚くと思います。
展覧会の冒頭は、イントロダクション「新しいエレガンスに向けて」。シャネルはキャリアをスタートさせた1910年代から、型にはまった女性らしさとは正反対のスタイルをとっていました。
続いて「スタイルの誕生」。シャネルは常にシンプルな美しさを意識しており、その製品はすっきりとして控え目です。また、実用的ながら上品でもあるシャネルの服は、スポーツウェアから影響を受けており、日常性とラグジュアリーが共存しています。
スタイルの誕生
次は「N°5:現代女性の目に見えないアクセサリー」。シャネル N°5はネーミング、デザイン、調香と、あらゆる面で20世紀初期における最も革新的な香水でした。
調合には80種類以上の成分が含まれ、シンプルな四角いガラスボトルというミニマルなデザインは画期的なこころみでした。「寝る時はシャネルN°5だけ」というマリリン・モンローの有名なひと言も、この香水の伝説に拍車をかけています。
N°5:現代女性の目に見えないアクセサリー 香水「シャネル N°5」1921年 パリ、パトリモアンヌ・シャネル
大きな展示室は「抑制されたラグジュアリーの表現」。1920年代から30年代のドレスを通じて、素材と形態との一貫した関係性について見ていきます。
1930年代は、シルエットへの意識が最も強く表現された時代でした。シャネルは驚くほどシンプルなモリスンのドレスや、形態を際立たせるためカッティングに装飾を組み込んだゆったりとしたドレスなどを製作しました。
抑制されたラグジュアリーの表現
下のフロアに進んで「スーツ、あるいは自由の形」。1939年、第二次世界大戦が始まると、シャネルはアトリエを閉鎖。再開したのは15年間後の1954年で、すでにシャネルは70歳を超えていました。
シャネルは芯地、ショルダーパッドやダーツ、襟がなく、代わりに、ポケットが付いたストレートなラインの柔らかなテーラーメイドのスーツを発表。控えめな上品さと実用性を兼ね備えた装いというシャネルの主張は、ここでも貫かれています。
スーツ、あるいは自由の形
続いて「シャネルの規範」。1955年、シャネルはキルティングのフラップバッグ「2.55」バッグを発表。回転式の留め具、長さを調整できるメタルチェーンストラップ、小さな内ポケットを備えるなど、ここでも実用性が重視されています。
1957年に発表されたバイカラー・シューズも機能性と美しさを兼ね備えています。つま先のブラックのレザーは摩耗しにくく、足を小さく見せ、ベージュのレザーは脚を長く見せることを意識しています。
シャネルの規範(コード)
続く「ジュエリーセット礼賛」には、豪華な宝石がずらり。1920年代以降、ジュエリーはシャネルの創作において、欠かせないものになっていました。服のシンプルさとは対をなすように、シャネルのスタイルの目印にもなっています。
シャネルは著名な宝飾工房や金細工師と協力し、歴史的なもの、エキゾチックなもの、象徴的なものなど、あらゆるものをデザインのモチーフにしながら、作品の幅を広げていきました。
ジュエリーセット礼賛
展覧会の最後は「蘇った気品」。シャネルの象徴的な色であるホワイトとゴールド、レッドとブラックを使った一連のドレス、イヴニングドレス、カクテルドレスが並びます。
シャネルにとって最後となった1971年春夏コレクションまで、シャネルは自らに課した規則を再解釈し、現代化し、完成させることにこだわり続けました。
蘇った気品
ガブリエル・シャネルの仕事に焦点を当てた回顧展が日本で開催されるのは、1990年にBunkamura ザ・ミュージアムで開催された「マドモアゼル シャネル」展以来、実に32年ぶり。シャネルの展覧会なのでファッション好きな女性はもちろんですが、男性もその造形的な美しさに魅了されると思います。国内では巡回はせず、三菱一号館美術館だけでの開催です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年6月20日 ]