釈迦が入滅(死去)し、暗く沈んだ世界に救世の光をもたらすために現れる未来仏・弥勒。東アジアで広く親しまれている弥勒像は、ガンダーラで誕生し、シルクロードを経て日本にまで至りました。
スーパークローン文化財の技術で原寸大復元された壁画など、さまざまな資料で弥勒の姿をたどる展覧会が、東京藝術大学大学美術館で開催中です。

東京藝術大学大学美術館 3F「みろく ― 終わりの彼方 弥勒の世界 ―」会場入口
会場は地域別の4章構成で、第1章は弥勒像が生まれた「ガンダーラ」です。
紀元前5世紀に成立した仏教。クシャーン朝の春秋の宮殿があったガンダーラで仏像が初めてつくられると、クシャーン朝の版図に広まっていきました。

第1章「ガンダーラ」
第2章は「アフガニスタン」。ガンダーラを北西に出ると、現在のアフガニスタンに至ります。
6世紀にはバーミヤンの磨崖に像高55メートルの弥勒の大仏(西大仏)が刻まれ、多くの人々の信仰を集めましたが、2001年3月に当時のタリバン政権によって破壊され、世界中に衝撃が走りました。
展示されている《天翔る太陽神》も、同時に失われたものです。原寸に近い立体で復元されました。

第2章「アフガニスタン」 バーミヤン東大仏龕及び天井壁画《天翔る太陽神》想定復元
奥に進むと展覧会の目玉といえる、バーミヤンE窟仏龕天井壁画《青の弥勒》が登場します。東大仏に近い崖に穿たれたE窟の座像本尊の天井を飾っていた天井壁画で、ラピスラズリをふんだんに使用した青色が印象的です。
1970年代に京都大学の調査隊が撮影した画像データなどをもとに、こちらも原寸大の立体で復元されました。

第2章「アフガニスタン」 バーミヤンE窟仏龕及び天井壁画《青の弥勒》《青の弥勒》想定復元
第3章は「西域と中国」。ガンダーラで生まれた仏像は、敦煌から河西回廊、中原へと伝わりました。
交通の要衝だった大都市・敦煌。五胡十六国時代の前秦の支配下だった時代から開鑿が始まり、約1,000年にわたって石窟が彫り続けられました。
敦煌莫高窟275窟の《交脚弥勒菩薩像》は、原寸は高さ3.4メートル。左右に張り出した背もたれは、ガンダーラの弥勒像にも見られる意匠です。

第3章「西域と中国」 敦煌莫高窟275窟《交脚弥勒菩薩像》再現(70%縮小)
57窟は、正面の西壁に塑造の仏陀座像。左右に比丘、菩薩、飛天が配されています。
左右の壁(南北壁)にはそれぞれ仏説法図が描かれ、南壁の左脇侍が弥勒の可能性があります。

第3章「西域と中国」 敦煌莫高窟57窟 想定復元
第4章は「日本」。遣唐使に随行した求法僧や、中国や西域から海渡った渡来僧たちによって、あるいは朝鮮半島を経て、弥勒は日本にもたらされました。
求法僧たちが持ち帰った法相宗は、弥勒が始祖です。興福寺、薬師寺、法隆寺を本山に多くの弥勒菩薩像がつくられ、民衆に親しまれました。
一方、朝鮮半島を経由した弥勒は、かつてガンダーラで観音菩薩がとった半跏思惟像の姿で将来されています。

第4章「日本」
アフガニスタンの文化財を紹介する展覧会は2016年にも開催され、「鍵の番人」が死守した秘宝は感動を呼びましたが、ニュースで報じられているように事態が急変。ふたたび文化遺産が危機に直面しています。
展覧会の開幕にあわせて「アフガニスタン文化遺産保護を訴える緊急提言」も発表されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年9月13日 ]