3000年間に遡るメソアメリカ文化と西洋からの影響を併せ持つメキシコ。その独特の文化に魅せられた日本人芸術家は少なくありません。市原湖畔美術館で開催中の本展は、メキシコに感化された日本人アーティスト8人をとりあげています。
岡本太郎(1911-1996)は、青年期に見た古代メキシコの遺跡の写真に衝撃を受け、1963年にメキシコを訪問。「メキシコはけしからん。何百年も前からおれのイミテーションをやっている」と語り、自らの内面にメキシコを“発見”しています。
展示されているのは《明日の神話》の原画。現在は渋谷駅にある《明日の神話》は、もとはメキシコ・オリンピック向けに建設されていたホテルのロビーにかけられる予定でした。
岡本太郎
「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる、漫画家の水木しげる(1922-2015)。妖怪研究家としても評価されています。
水木がメキシコを訪問したのは1997年。メキシコの人々が生きる世界に妖怪の存在を幻視し、悪魔や動物、死霊の仮面を大量に蒐集しました。帰国後にメキシコ旅行記も出版しています。
水木しげる
北川民次(1894-1989)は、メキシコと縁が深い日本人アーティストの筆頭格です。渡米後、キューバを経て革命直後のメキシコへ。民衆が芸術を求める壁画運動に感銘を受け、児童美術教育にも尽力しました。
帰国後も二科展などで作品を発表。権力への抵抗の姿勢を取り続け、反骨の画家としても知られています。
北川民次は、常設展示室でも版画が展示されています。
北川民次
利根山光人(1921-1994)は、古代マヤに魅せられたアーティスト。1955年に東京国立博物館で開催された「メキシコ美術展」を見て感激し、後にメキシコを訪問。古代文明をモチーフとした情熱的な作品で「太陽の画家」と呼ばれました。
利根山はマヤ遺跡のほとんどを訪ね歩き、その石彫の美を拓本にして蒐集。その成果は1963年の東京国立近代美術館の「マヤの拓本」展で、公開されました。
利根山光人
コンセプチュアル・アートの河原温(1932-2014)も、1955年の東博での展覧会でメキシコに魅せられました。「このメキシコ美術展ほど驚嘆に値するものはないだろう」と絶賛しています。河原は1959年から1962年末までメキシコに滞在していますが、メキシコでの活動についてはほとんど記録が残っていません。
並んだ絵葉書は、起床した時間だけが記された絵葉書を旅先から送る《I Got Up》シリーズ。メキシコから友人のキュレーターに送られたものは151枚あります。
河原温
会場の最も大きなスペースで紹介されているのが、スズキコージ(1948-)です。極彩色の絵本のほか、絵画、ダンボール彫刻、映画・劇場ポスター、ライブペインティング、ワークショップなど、多彩な表現活動を続けています。
スズキコージとメキシコとの出会いは1995年。「死者の日」の祭りに感動し「ぼくの絵はすべてメキシコみたいなもの」と語ります。
展覧会のオープニングセレモニーでは、スズキコージのライブペインティングも行われました。
スズキコージ
参加アーティストの最年少が小田香(1987-)。将来を期待されている若手映画監督です。
2019年に発表した『セノーテ』は、監督自らが水中撮影を敢行。マヤ文明の時代から現世と黄泉を結ぶと信じられ、雨乞いの儀式のために少女たちが生贄として捧げられてきた泉をめぐる内容で、第一回大島渚賞、2020年度芸術選奨新人賞を受賞するなど高く評価されました。
本展では、メキシコで撮影したフィルムから新たに映像インスタレーションを展開。『セノーテ』制作の過程で生み出された板絵も展示されています。
小田香
最後は常設展示室で紹介されている、銅版画家の深沢幸雄(1924-2017)。
深沢も1955年の東博「メキシコ美術展」に感激。1963年にメキシコ国際文化振興会の招聘でメキシコを訪問し、木版画が主流だったメキシコ版画界に大きな影響を与えました。
深沢自身も滞在中に訪れたマヤ・アステカの古代遺跡に触発され、それまでの叙情的モノクロームから鮮やかな色調へと作風を大きく変えます。
深沢幸雄
あまり知られていませんが、美術館がある千葉県は日本とメキシコの交流が始まった地です。1609年にフィリピンからメキシコに向かう帆船が御宿沖で座礁。遭難者 300人以上を地元の住民が救出し、大多喜城主・本多忠朝が手厚く保護、徳川家康のはからいで無事帰国を果たしています。
メヒコの情熱に魅せられた、8人8様の作品世界。コロナの閉塞感を打ち破るような、生命感あふれる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年7月10日 ]