三菱の前身である九十九商会の創業は1870(明治3)年。下級武士の家に生まれた岩崎彌太郎が、土佐藩の事業を引き継ぐかたちで設立し、以来、彌之助、久彌、小彌太と岩崎家に継承されて発展しました。
創業150周年を記念した本展では、三菱一号館美術館、東洋文庫、三菱経済研究所、静嘉堂が協同。三菱創業家が収集した作品の中から、選りすぐりの名品が紹介されています。
三菱一号館美術館「三菱創業150周年記念 三菱の至宝展」外観
展覧会は4章構成で、第1章「三菱の創業と発展 ― 岩崎家4代の肖像」からです。
初代・彌太郎(1835-85)は、土佐藩の殖産興業に従事。海運を主とする九十九商会を設立しました。
事業に邁進した彌太郎。多忙な毎日でも、向学の志は強かったようで、彌太郎が所蔵していた漢籍などが、今日まで伝わっています。
彌太郎を象った彫刻は、日本の近代彫刻の先駆者、大熊氏廣によるもの。彌太郎の死後に、岩崎家の依頼で制作されました。
《唐物茄子茶入 付藻茄子》は、松永久秀から織田信長へ献上された、有名な茶入です。大坂夏の陣で大破しましたが、漆繕いで復元されました。
(奥)《岩崎彌太郎座像》大熊氏廣 明治時代 1890年代 三菱経済研究所付属三菱史料館 / (手前)《唐物茄子茶入 付藻茄子》南宋-元時代 13-14世紀 静嘉堂[展示期間:6月30日~8月9日]
第2章は「彌之助 ― 静嘉堂の創設」。2代・彌之助(1851-1908)は彌太郎の弟。刀剣から収集を始め、中国絵画、漢籍、仏教美術、茶道具などに広げていきました。
古美術の保護だけでなく、同時代の作家の活動も支援。内国勧業博覧会出品作への援助も行っています。
そのまなざしは学術貢献にも向けられ、1892(明治25)年には静嘉堂文庫を創設。古典籍を収集していきました。
第2章「彌之助 ― 静嘉堂の創設」 会場風景
彌之助が醍醐寺を支援した縁で岩崎家所蔵になったのが、国宝《源氏物語関屋澪標図屛風》。
俵屋宗達は、住吉詣の華麗な源氏一行に遭遇した明石君が参詣せずに去る場面を、明石君も光源氏も描かないという大胆な構成で表現しています。
国宝《源氏物語関屋澪標図屛風》より「澪標図」 俵屋宗達 江戸時代 1631(寛永8)年 静嘉堂[展示期間:6月30日~8月9日]
「日本における裸体表現」という流れになると、必ず言及される黒田清輝《裸体婦人像》。黒田が渡欧中に描き、帰国後の1901年(明治34)、第6回白馬会に出品したところ、警察から指摘され、裸婦の下半身が布で覆われました。いわゆる「腰巻事件」です。
後に岩崎家の所有となり、高輪邸の撞球室(ビリヤードルーム)に飾られました。
《裸体婦人像》黒田清輝 1901(明治34)年 静嘉堂
第3章は「久彌 ― 古典籍愛好から学術貢献へ」。3代・久彌(1865-1955)は彌太郎の長男。若い頃から読書家で、妻の寧子も日本の古典や江戸期の小説などの文芸好きという事もあり、文献資料の収集を進めていきます。1917(大正6)年に、2万4000冊ものアジア関係の欧文資料を一括購入。敷地と資金を提供し、1924(大正13)年に財団法人東洋文庫が発足しました。
第3章「久彌 ― 古典籍愛好から学術貢献へ」 会場風景
イスラーム教の聖典《コーラン》。預言者ムハンマドに授けられたアッラーの啓示をまとめたものです。
こちらは、マムルーク朝(1250-1517)時代に、現在のシリア地方で書写されたもの。その巨大さと豪華さが目をひきます。金色の絵の具で彩られた花は、各節の区切りを示したものです。
『コーラン』1371-72年 東洋文庫
『尚書』は中国最古の史書で、儒教の重要な経典「五経」の一つにも数えられます。
国宝『古文尚書』は秦時代(紀元前221年統一)より前の文字が使われており、尚書の写本のなかでも現存最古の一つと考えられる貴重な史料です。
国宝『古文尚書』唐時代 7-8世紀 東洋文庫[展示期間:6月30日~8月9日]
最後の第4章は「小彌太 ― 静嘉堂の拡充」。4代・小彌太(1879-1945)は彌之助 の長男。父の収集品を整理し、日中の絵画コレクションは『静嘉堂鑑賞』として(1921年)に結実しました。
父の17回忌にあたる1924(大正13)年には、砧村岡本(現・世田谷区岡本)に、静嘉堂文庫を移設。後に財団法人静嘉堂を設立し、所蔵品は現在まで活用されています。
小彌太の時代、1936年(昭和11)に開催された「昭和北野大茶湯」。秀吉による「北野大茶湯」を350年ぶりに再現しようと企画された、大茶会です。
名だたる財界の数寄者や茶道家元社中らが参加したこの宴で、小彌太は一席を依頼され、所蔵の道具を提供。名器の数々を用いた茶席は、大変な好評を博しました。
「昭和北野大茶湯」で用いられた茶道具
三菱創業家ゆかりの至宝のひとつが、国宝《曜変天目( 稲葉天目)》。静嘉堂文庫美術館で何度も見ている方も、いつもと違う環境で見ると、新鮮な印象があるでしょう。
福建省建窯で焼成されたもので、独特の輝きは偶然の所産。世界に現存する曜変天目(完形品)は、日本にある三碗のみで、すべてが国宝に指定されています。
徳川将軍家から春日局を経て稲葉家へ伝えられたため「稲葉天目」と呼ばれるこの茶碗。1934(昭和9)年に小彌太の所有となりましたが、「天下の名器を私に用うべからず」として、生前は一度も使わなかったと伝わります。
国宝《曜変天目(稲葉天目)》建窯 南宋時代 12-13世紀 静嘉堂
所蔵する国宝12点、すべてが出展される豪華な展覧会です。展示替えがありますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年6月29日 ]