茶壺、掛軸、花入、水指、香炉など、さまざまな道具を用いる茶の湯。今日の茶の湯では、茶入と茶碗は特に人気がありますが、その理由のひとつとして『大正名器鑑』の存在があります。
茶入と茶碗あわせて875点を収録し、後年の茶道具の評価に決定的な影響を与えた『大正名器鑑』。その刊行百年を記念した展覧会が、根津美術館で開催中です。
根津美術館「茶入と茶碗 ― 『大正名器鑑』の世界 ― 」展 会場入口
展覧会は2章構成で、第1章「『大正名器鑑』の成り立ち ─ 諸家を巡る」からです。
『大正名器鑑』は、由緒ある茶道具を列記した「名物記」の一種。編者は実業界を引退後、茶の湯の世界を生きた高橋義雄(1861~1937、号箒庵[そうあん])です。
全9編11冊に及び、初版本は引き出しがある漆塗りの木箱2箱入り。女性ひとりではとても運べないという重量級ですが、内容だけなら国立国会図書館デジタルで見る事ができます。
高橋義雄編《大正名器鑑(初版本)》大正10~昭和2年(1921~27)根津美術館蔵
箒庵が『大正名器鑑』をつくるにあたり、指標にしたのが江戸後期の大名茶人・松平不昧による『古今名物類聚』です。そこで箒庵は、不味の子孫である松平直亮の所蔵品の調査から始めました。
《信楽茶碗 銘 水の子》も、当時は松平直亮が所蔵していました。数少ない信楽茶碗の代表作で、菱形の高台と裾部分の青緑色の釉薬が見どころです。
《信楽茶碗 銘 水の子》桃山~江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
根津美術館コレクションの礎を築いたのが、初代根津嘉一郎(1860~1940、号青山[せいざん])。1歳違いの嘉一郎と箒庵は、茶の湯を通じて深い友情で結ばれていました。
箒庵は、現在の美術館がある根津邸で、2度に渡って嘉一郎の所蔵品を調査。計14点が『大正名器鑑』に掲載されました。
重要文化財《鼠志野茶碗 銘 山の端》もそのひとつで、歪みのある形と大胆な文様が特徴的です。当時はまだ「鼠志野」という概念がなく「志野」として取り上げられました。
重要文化財《鼠志野茶碗 銘 山の端》桃山~江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
『大正名器鑑』を編纂するにあたり、箒庵は自らの目で見たものだけを収録しています。そのため、過去の名物記には掲載されているにも関わらず、見つからずに掲載を諦めたものもありました。
ただ、その中には嘉一郎が所蔵していたものが含まれています。《利休瀬戸茶入 銘 不聞猿》も、そのひとつ。売立で嘉一郎の手に渡っていたことを、箒庵は知らなかったのです。
《利休瀬戸茶入 銘 不聞猿》江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
『大正名器鑑』の編纂に並々ならぬ情熱を注いでいた箒庵。約9年間で実に150箇所以上も所蔵先を訪れました。
当時は前田家が所蔵し、後に青山の手に渡ったのが《曜変天目》。これは本来なら「油滴天目」とすべきですが、曜変天目として伝来した事に対し、「曜変にもこのような種類があると理解した」と箒庵は記述。気配りを忘れない箒庵の優しさが垣間見えます。
《曜変天目》中国・南宋時代 12~13世紀 根津美術館蔵
第2章は「『大正名器鑑』刊行後のこと ― 名品で友をねぎらう ―」。良きアドバイザーとして、箒庵に全幅の信頼を置いていた嘉一郎。ふたりの友情関係を振り返ります。
大正11年(1922)の歳暮茶事で、嘉一郎は《信楽壺 銘 破全》を花入として使いますが、初日の客だった箒庵から、壺が完全無欠で面白味がないと指摘されてしまいます。嘉一郎はアドバイスに従って壺を割ったところ、予想以上のバラバラに(現在は復元)。すっかり意気消沈した嘉一郎ですが、翌日の客に大絶賛され、機嫌を直したそうです。
《信楽壺 銘 破全》江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
昭和3年(1928)、箒庵は松平直亮、益田鈍翁など掲載品の所蔵者を招き『大正名器鑑』の完成告成会を開催しました。
告成会の展示コーナーに、嘉一郎は《敷島大海》、《忘水井戸》、国宝の牧谿筆《漁村夕照図》と、3点を出陳しています。
《大海茶入 銘 敷島》室町時代 16世紀 根津美術館蔵
この告成会を受け、翌昭和4年には関係者たちが箒庵を慰労する会を開催。この会でも陳列コーナーが設けられました。
慰労会の陳列コーナーに益田鈍翁が出陳したのが、箒庵による一行書。この書は会の数日前に箒庵から送られたもので、鈍翁はすぐさま茶碗の裂を貼り付けた表装を施して、この慰労会で披露。出席者を驚かせたと伝わります。
高橋箒庵筆《一行書》昭和4年 個人蔵
慰労会のお礼として、箒庵は関係者30人へ自作の茶杓を贈呈しました。茶杓の銘は、各自が所蔵している茶入・茶碗のうち、『大正名器鑑』に掲載されている名物の銘を転用しています。
ただ、根津嘉一郎への茶杓の銘は、掲載品ではなく「大津馬図」。長年、本作を秘蔵していた嘉一郎に、早く披露すべしと催促したのです。茶杓の銘が効いたのか、嘉一郎は同年、ようやくこの絵を披露しました。
松花堂昭乗筆 沢庵宗彭賛《大津馬図》江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
茶入と茶碗の名品だけでなく、人間味あふれるエピソードもあわせてお楽しみいただける展覧会です。
根津美術館コレクションで『大正名器鑑』に掲載されているものは、現在は40点。本展では33点が紹介されています。うち4点は展示室6の「梅雨時の茶」で展示されていますので、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年5月28日 ]