大正から昭和にかけて、詩情あふれる風景版画を数多く制作した川瀬巴水(1883-1957)。日本各地を写生旅行しながら四季折々の姿を巧みに描き、「昭和の広重」と称されました。
代表的な版画作品をはじめ、本の装丁や雑誌の仕事など、これまであまり紹介されなかった作品も紹介する展覧会が、平塚市美術館で開催中です。
会場の平塚市美術館
展覧会は、最初の3章は時代順。第1章は「木版画家・巴水の誕生 ― 関東大震災まで」です。
川瀬巴水は明治16(1833)年、東京生まれ。本格的な画業の開始は20代半ばからと遅く、鏑木清方に入門を請うも、最初は年を取りすぎていると断られたほどです(再度の依頼で許可されました)。
大きな転機になったのが、大正7(1918)年。同門の伊東深水による版画《近江八景》に感銘を受け、これを手がけた版元の渡邊庄三郎を訪問。江戸時代から続く伝統的な木版画の技術を用いながら、新時代にふさわしい版画を目指していた渡邊と意気投合し、以降、40年にわたって協業する事となります。
巴水が初めて制作した版画が「塩原三部作」。巴水の伯母夫婦が土産物店を営んでいた塩原は、伯母夫婦によく預けられていた巴水が慣れ親しんだ場所でした。
川瀬巴水《塩原おかね路》大正7(1918)年秋
その後も渡邊のもとで《旅みやげ第一集》《東京十二題》《旅みやげ第二集》《日本風景選集》と矢継ぎ早に刊行。画業の初期といえるこの頃の作品でも、風景の中の季節や時間が巧みに描かれており、短期間で急速に様式が確立されたことが分かります。
川瀬巴水《旅みやげ第二集 金沢下本多町》大正10(1921)年9月2日
第2章は「最盛期の巴水 ― 関東大震災から終戦まで」。大正12(1923)年の関東大震災で巴水の自宅は全焼し、版木や版画、写生帖など焼失するなど大きな被害を受けましたが、早くも震災翌月には写生旅行に出発。中断していた《日本風景選集》をはじめ、さまざまな連作を進めて行きました。
震災から復興を遂げつつある東京を取材し、巴水の代表作になったのが《東京二十景》。中でも人気があった《芝増上寺》は3,000枚、《馬込の月》は2,000枚が売れたとも伝わります。
川瀬巴水《東京二十景 芝増上寺》大正14(1925)年
川瀬巴水《東京二十景 馬込の月》大正14(1925)年
さらに巴水は、昭和14(1939)年に日本統治下だった朝鮮に旅行。初めて目にする景色を熱心に写生し、意欲的な創作活動を続けていきます。
また巴水の作品は大正9(1920)年から海外へも紹介されるようになり、昭和に入るとアメリカの美術館で開催された日本の版画展にも数多く出品されるなど、知名度が拡大。国内の評価も一段と高まり、風景版画家としての地位を確固たるものとしていきます。
川瀬巴水《続朝鮮風景 朝鮮智異山泉隠寺》昭和15(1940)年
第3章は「晩年の巴水 ― 戦後」。戦時中は塩原に疎開していた巴水。終戦も同地で迎え、昭和23(1948)年に東京に戻りました。
敗戦により進駐軍の欧米人が増えると、伝統的な日本の木版画は土産物として注目されるようになり、巴水の版画制作も再び熱を帯びてきます。
《増上寺の雪》は、戦後の巴水を代表する作品。文部省文化財保護委員会から木版画技術記録事業の対象として選ばれた巴水が、馴染み深い増上寺の雪景色を42回に及ぶ摺りで表現した力作です。
原画、版下絵、校合摺、色ざし、版木、順序損など制作にかかるすべての資料が、東京国立博物館に保管されています。
川瀬巴水《増上寺の雪》昭和28(1953)年
戦後になると、各地の風景も大きく変わり、巴水が描いた詩情あふれる景色も、徐々に姿を消していきました。ただ、巴水は時の流れに左右されることなく、一心に風景画に取り組み、しみじみとした作品を40年にわたって制作し続けました。
昭和32(1957)年、巴水は胃がんのため74歳で死去。絶筆となった作品(本展不出品)は、渡邊庄三郎によって仕上げられ、百箇日の法要の際に友人知己に配られています。
(上から)川瀬巴水《袋田の滝(茨城県)》昭和29(1954)年 / 川瀬巴水《岡山城の朝》昭和30(1955)年
第4章は「本や雑誌、カレンダーや絵はがきなどの仕事」。巴水の展覧会は何度も開かれていますが、版画作品以外のものをこれだけ紹介するのは珍しい試みです。
風景画で知られる巴水ですが、出版物まで視野を広げると、それ以外の作品も手がけていることが分かります。
母が芸事を好んだこともあり、幼少期より芝居に親しんでいた巴水。巴水が表紙絵や口絵を描いた雑誌『演芸写真帖』には、登場人物の心の機微まで巧みに表現されており、自身の演芸に対する関心の高さが伺えます。
川瀬巴水「演芸写真帖」
前述したように、1930年代には海外でも評価が高まっていた巴水。外国向けの出版物にも、巴水の作品はしばしば見られます。
戦前の仕事としては、鉄道省国際観光局による観光ポスター、日本の神道と神社建築を紹介する書籍、東京市の行政概要など。戦後もアメリカ向けのカレンダーなどを手がけています。
現在でもインバウンド向けの土産物に見られるような、典型的な日本イメージの形成において、巴水が果たした役割は少なくないと言えるでしょう。
川瀬巴水「1953年カレンダー」
もとは2020年4月~6月の開催予定で準備が進んでいた本展。展覧会は新型コロナウイルス感染症のために中止となりましたが、荒井寿一コレクションのみで再構成され、待ちに待った待望の開催になりました。
豊かな色彩感覚と類いまれなる構成力、そして知られざる人物画。巴水は何度も見ている方も、はじめての方も、幅広い魅力をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月28日 ]