タイガー立石(立石紘一・立石大河亞 1941-1998)というアーティストをご存じでしょうか。絵画、彫刻、漫画、絵本、イラストなどさまざまなジャンルを横断しながら独創的な表現活動を続け、公立の美術館にコレクションされている作品も少なくありませんが、1998年に56歳で亡くなりました。
今年は生誕80年の節目の年。最初期から晩年まで、その活動の全貌をふりかえる展覧会が、千葉市美術館から始まりました。
千葉市美術館「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」会場入口
立石紘一は1941年、福岡県田川市(当時・伊田町)生まれ。当時、田川など筑豊地域は炭鉱で栄えており、劇場や映画館、神社の見世物など、立石は身近に多くの娯楽がある環境で過ごしました。
会場では最後に展示されていますが、《香春岳対サント・ビクトワール山》は田川への思いを描いた作品。香春岳は田川の原風景といえる山で、石灰石採掘で上部が切れたようなかたちが特徴的。左の二本煙突も田川の象徴です。
《香春岳対サント・ビクトワール山》1992年 田川市美術館
1961年に上京し、武蔵野美術短期大学デザイン科に入学。63年にはブリキのおもちゃや流木を貼り付けた絵画《共同社会》を読売アンデパンダン展に出品し、注目を集めました。
このような作品は以降は作っていませんが、雑多なイメージを集めてひとつの作品にするという手法は、後の絵画にも見られます。
《共同社会》1963/1993年 青森県立美術館
《立石紘一のような》は、自己を宣伝する広告看板のような作品。もとは自らが執筆した芸術上のマニフェストにつけるイラストとして描いたものですが、偶然アトリエを訪問していた美術評論家の東野芳明に拡大版の制作を勧められ、64年、東野が企画したヤング・セブン展(南画廊)に出品しました。
1966年以降は「タイガー立石」の名前での漫画制作が中心となりますが、突然、海外への移住を決意。1969年、イタリア・ミラノへ渡りました。
(左から)《フン》1963年 青森県立美術館 / 《立石紘一のような》1964年 高松市美術館
ミラノでは漫画のコマ割りをそのまま絵画に描く作品を発表した立石。「コマ割り絵画」はルネ・マグリット、マックス・エルンストなどを紹介していた世界的画商のアレクサンドル・イオラスの目にとまり、イオラスは立石の作品を蒐集するようになります。欧米各地にあったイオラスの画廊で、個展も開催しましたが、この時期の油彩画は、所在不明になっているものも少なくありません。
(左から)《はじめに革命あり》1970年 高松市美術館 / 《約束の時間》1970年 豊田市美術館
立石の世界は、イタリアの建築・デザイン界からも注目されるようになります。エットレ・ソットサスの知遇を得て、オリベッティ社内のソットサス工業デザイン研究所に嘱託として在籍。ソットサスの誌面上のプロジェクト《祝祭としての惑星》では、立石が原画を描いています。
(左手前から)エットレ・ソットサス/原画:タイガー立石《祝祭としての惑星:巨大プロジェクト、イラワジ川とジャングルを望むパノラマ》1972年 / エットレ・ソットサス/原画:タイガー立石《祝祭としての惑星:祝祭としての惑星:静止状態のウォーキング・シティ》1972年
イラストレーターとして多忙になった立石ですが、1982年に帰国。絵本の制作でも精力的に活動します。
1990年には「タイガーのイメージの群れが河の流れとなり、やがて広い情報の海に船出する」という意図から「立石大河亞」と改名(漫画や絵本では「タイガー立石」のまま)。明治、大正、昭和を総括する大画面の三部作を発表しました。
(左奥から)《大正伍萬浪漫》1990年 / 《明治青雲高雲》1990年 ともに田川市美術館
1991年から陶彫による立体も制作。セザンヌ、デ・キリコ、岡本太郎など国内外の著名な画家たちをモチーフにしたアーティストシリーズは、アーティストの顔とその代表作から引用されたモチーフで構成された、ユニークな立体造形です。計12点制作されました。
(手前)「アーティストシリーズ」
立石は漫画家としても活躍しました。本格的に漫画を描きはじめたのは1965年から。独自のナンセンス世界は『週刊アサヒ芸能』や『少年サンデー』などに掲載され、後に赤塚不二夫の作品に登場するネコのキャラクター「ニャロメ」も、当時交友のあった立石によって作られた言葉です。
帰国後に始めた絵本の仕事は、1984年の『とらのゆめ』(福音館書店)から晩年まで、ほぼ1年に1作のペースで発表しています。年代によっては、立石の作品はこれらの絵本がピンと来る人もいるそうです。
《ぐにゃぐにゃ世界の冒険》1987年
エピローグで紹介されているのが、1992年に発表された絵巻物《水の巻》。6巻・各9メートル、全長約54メートルにおよぶ壮大な作品で、水のモチーフを基調にしつつ、歴史的名画や古今東西の風物など、さまざまなイメージに満ちています。
脳裏に浮かんだもの全てを描き出さずにいられない、立石ならではの世界が垣間見える作品です。
《水の巻》1992年 豊田市美術館
多彩な分野で活動したため、見る方によって立石のイメージが変わってくるかもしれません。生前は平面での活躍が主体でしたが、陶彫の作品を見ると、その卓越した構成力は、立体作品でさらに活かされるように感じました。早すぎる死が惜しまれます。
展覧会は千葉を皮切りに青森、香川、埼玉と巡回します。会場と会期はこちらをご覧ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月12日 ]