日本が近代化の道を歩き始めていた1894年(明治27)年、東京・丸の内に日本初のオフィスビルが誕生しました。
「1894年」を軸に、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの時代に焦点を当てた展覧会が、三菱一号館美術館で始まりました。
会場入口
英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計で、1894年に竣工した三菱一号館。パリでは5年前にエッフェル塔が登場し、新しい時代が幕を開けていました。
展覧会では約140点の作品を6章で紹介していきます。
会場風景
第1章は「19世紀後半、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの周辺」。
第1回の印象派展は1874年に開催、ルノワール、モネ、ピサロらが出品しました。ルドンとトゥールーズ=ロートレックも、自らの作風を確立するまでは、印象派の画家たちの影響を受けています。
19世紀末には、版画を絵画と同等の表現手段として評価する芸術家が増えました。彼らは画家=版画家(Peintre-graveur:パントル・グラヴ―ル)と呼ばれていました。
第1章「19世紀後半、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの周辺」 (左から)ピエール=オーギュスト・ルノワール《麦藁帽子の若い娘》1888-90年頃 三菱一号館美術館 寄託 / ピエール=オーギュスト・ルノワール《長い髪をした若い娘(あるいは麦藁帽子の若い娘)》1884年 三菱一号館美術館 寄託
第2章は「NOIR-ルドンの黒」。ルドンは1840年生まれ。モネと同い年ですが、印象派が外界に向かうのに対し、ルドンは内面の夢と想像の世界を探求しました。木炭と石版画を使った「黒」の作品で知られます。
ルドンは1894年の個展で初めて色彩の作品を発表。パステルや油彩を用いて、大規模な装飾壁画も制作しています。
第2章「NOIR-ルドンの黒」 (左から)オディロン・ルドン《骸骨》1880年頃 岐阜県美術館 / オディロン・ルドン《悲嘆》1893年頃 岐阜県美術館 / オディロン・ルドン《ダブル・プロフィル》制作年不詳 岐阜県美術館(田口コレクション)
第3章は「画家=版画家 トゥールーズ=ロートレック」。モンマルトルに住みながら、身の回りの人々をモデルに絵を描いていたトゥールーズ=ロートレック。1891年、カラー・リトグラフ(多色石版画)の《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》で、一躍スターダムに躍り出ました。
《ムーラン・ルージュにて、ラ・グーリュとその姉》と《ムーラン・ルージュのイギリス人》は、限定販売の小型ポスター(装飾パネル)です。書斎などの壁に飾るため、版画愛好家の間で流行していました。
第3章「画家=版画家 トゥールーズ=ロートレック」 (左から)アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレーにて》1893年 三菱一号館美術館 / アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《アリスティド・ブリュアン》1893年 三菱一号館美術
第4章の「1894年 パリの中のタヒチ、フランスの中の日本」は、華やかな会場です。
1893年、ゴーギャンは初めてタヒチを舞台にした作品をパリで発表しますが、あまり反応は良くありませんでした。まずタヒチの文化を理解してもらう必要があると考えたゴーギャンは、詩人シャルル・モリスと共に、タヒチの紀行文『ノア ノア』を制作へ。1894年、出版に先行して挿絵がアトリエで公開されました。
ナビ派の画家、フェリックス・ヴァロットンも、ゴーギャン同様に木版画を追求した画家=版画家です。両者はともに、アンドレ・マルティが企画した『レスタンプ・オリジナル』に参加しています。
第4章「1894年 パリの中のタヒチ、フランスの中の日本」
第5章は「東洋の宴」、明治時代に洋画を学んだ日本人美術家の作品です。
山本芳翠は1878(明治11)年の万博のためにパリを訪れ、アカデミスムの画家で、かつてルドンが学んだ事もあるジェロームに師事しました。欧州で10年も修行しましたが、欧州で描いた作品はほとんど消失。重要文化財の《裸婦》は、現存する数少ない作例のひとつです。
一方、《浴室の女》を描いたのは藤島武二。パリとローマへの留学中の作品ですが、藤島もローマ滞在中の作品の多くが失なわれています。
第5章「東洋の宴」 (左から)重要文化財 山本芳翠《裸婦》1880(明治13)年頃 岐阜県美術館 / 山本芳翠《浦島》1893-95(明治26-28)年頃 岐阜県美術館
下のフロアに進むと、最後の第6章「近代-彼方の白光」です。
ルドンは1894年から色彩の作品を発表。三菱一号館美術館が誇るルドンの大作《グラン・ブーケ》がロベール・ド・ドムシー男爵のシャトーに納められたのは、1901年4月頃です。
トゥールーズ=ロートレックは24歳年下ですが、同年9月9日に36歳で早世。没後は必ずしも評価されない時代もありましたが、1922年に故郷のアルビにロートレック美術館が開館しました。現在、同館は三菱一号館美術館の姉妹館になっています。
ルドンは1916年に死去。本格的なルドン展がパリで開催されるのは、1956年になってからです。
第6章「近代-彼方の白光」 (左から)オディロン・ルドン《オリヴィエ・サンセールの屛風》1903年 岐阜県美術館 / オディロン・ルドン《ポール・ゴビヤールの肖像》1900年 岐阜県美術館 / オディロン・ルドン《黒い花瓶のアネモネ》1905年頃 岐阜県美術館
本展はロートレック作品260点を所蔵する三菱一号館美術館と、約250点という世界有数のルドン・コレクションを有する岐阜県美術館との共同企画。所蔵する作品を相互に出品する事で、互いのコレクションを新たな視点で見直そうという試みです。
東京の後に岐阜に巡回、2021年1月31日~3月14日に岐阜県美術館で開催されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年10月16日 ]