ガンダーラの仏教美術
特別解説 田辺勝美
シルクロード美術史家(文学博士)元金沢大学教授
パキスタン北部、インダス河とカーブル河の合流する地にあるガンダーラは多くの民族が侵入し興亡したところである。前4 世紀後半のアレクサンダー大王の侵略以後、ギリシア人やスキタイ人、パルティア人、クシャン人などの異民族がガンダーラやその周辺(広義のガンダーラという)に住み、ギリシア・ローマの写実的な美術とインドの仏教が交流して「ガンダーラ仏教美術」が1世紀後半に創出され、以後7世紀頃まで存続した。現地産の片岩やストゥッコ(化粧漆喰)、粘土を用いて、釈迦牟尼仏陀(釈尊、世尊)や弥勒菩薩などの礼拝像や、釈尊の生涯の事績(伝記=仏伝)を描写した仏伝浮彫が多数製作され、仏寺を荘厳した。今日まで膨大な数の作品が発掘されているが、彫刻類は多種多様である。様々な民族と習俗、仏教のみならずゾロアスター教やヒンドゥー教、ギリシアやローマの異教など東西の異文化・異宗教が関係している。更に、ガンダーラの中心地(ペシャーワルやタキシラ)と辺境・地方の経済・文化的格差、あるいは住民の間の経済的格差などが彫刻に反映して、作品の質(作域)にはピンからキリまである。全てが美しとはいえないし、粗雑なものもある。しかしながら、優品であろうとなかろうと、各々の彫刻全てが、貴重な情報を秘めたガンダーラの歴史の生き証人であことには変わりなく、我々にその情報やメッセージを読み解くことを望んでいる。