ジョン・レノン(1940-1980)とオノ・ヨーコ(1933-)という伝説的なカップルの軌跡を、彼ら自身の言葉や作品で辿る展覧会が、ソニーミュージック六本木ミュージアムにて開催中です。
展覧会は、ジョンの故郷であるイギリス・リバプール博物館で2018年5月~2019年11月に開催された“DOUBLE FANTASY - John & Yoko”展の日本版です。
リバプールでの展覧会は、会期が当初の予定から7ヵ月も延長されるなど大きな話題となり、70万人を動員しています。
ジョン・レノン生誕80年と没後40年となる節目の年でもある本年、ヨーコの故郷である東京で開催される事になりました。
会場は時系列で構成されています。ビートルズでボーカル、ギターを担当、多くの曲を世に生み出した世界的ロック・スターのジョンと、米国で前衛芸術の活動をはじめ、先鋭的なパフォーマンスなどて注目を集めていたヨーコ。幼少期の二人の貴重な資料からスタートします。
二人が初めて出会ったのは、1966年11月7日。ジョンは友人に誘われ、ロンドンの画廊インディカ・ギャラリーで開催されていたヨーコの個展「Unfinished Paintings and Objects(未完成の絵画とオブジェ)」を訪れ、作品を鑑賞しました。
ジョンは前衛芸術に懐疑的でしたが、脚立を登って、虫眼鏡で天井の絵を見る作品《天井の絵》で、天井に小さく“YES”と書かれていた事に感銘を受けたのは、有名なエピソードです。
インディカ・ギャラリーで開催されたヨーコの個展「Unfinished Paintings and Objects(未完成の絵画とオブジェ)」の再現
二人は1969年に結婚。挙式の5日後にアムステルダムのホテルで、世界平和のためのパフォーマンス、「ベッド・イン」を行いました(後にモントリオールでも開催)。
当時はベトナム戦争が泥沼化。二人は自分たちに注目が集まるこのタイミングを利用し、ホテルに記者を招き入れて平和について語ったのです。
会場には「ベッド・イン」からのアイテムとして、二人のイラストが書かれたギターも展示されています。
結婚式の衣装
「ベッド・イン」で使用したギブソンのギター
1968年6月、二人は初めての共同イベント「平和のどんぐり(Acorn Peace)」を実行。平和の象徴である2粒のドングリを東と西のそれぞれに向けて植え、東洋と西洋の融合と平和を願いました。
また1969年12月には「WAR IS OVER! (if you want it)」というメッセージを、世界12都市の広告ビルボードやポスター、新聞に掲載しています。
ボブ・グルーエンのポートレートで着用した“NEW YORK CITY”Tシャツ
1973年から75年の「失われた週末(Lost Weekend)」と呼ばれる別居時代を経て、二人は再び共に歩き始めました。
1975年10月9日、ジョンの誕生日と同じ日にショーンが誕生。ジョンは当時としては非常に珍しい“主夫”になり、子育てに専念します。
ジョンが使ったショーンの抱っこひも
そして1980年12月8日、ジョンは自宅アパートのダコタ・ハウス前で撃たれて死去。衝撃のニュースが世界中を駆け巡りました。
1985年にはダコタ・ハウスにも近いニューヨークのセントラル・パーク内に、ジョンを偲ぶ記念エリア「ストロベリー・フィールズ」が“平和の庭(Garden of Peace)”として正式に誕生しました。
ストロベリー・フィールズの中心にある「Imagine」の円形モザイクも、会場に再現されています。
東京展ならではの展示として、ジョンの日本語練習スケッチ・ブックも展示されています。AMAI(甘い)、SUPPAI(酸っぱい)、SHOPPAI(しょっぱい)など、表情のイラスト入りの日本語練習帳は、とてもユニークです。
また、しばしば訪れていた軽井沢での和やかな家族写真と、その際に着用していた洋服も展示されていました。
ジョンが亡くなって40年。ベトナム戦争は終結し、冷戦は終わりましたが、私たちのまわりには多くの問題が山積し、むしろ複雑化・重層化しているように思えます。
社会の分断が問われるニュースを耳にするたびに「ジョン・レノンが生きていたら何と言うだろうか」と、しばしば考えるのは、私だけではないかもしれません。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年10月7日 ]