テオドール・シャセリオーは1819年生まれ。カリブ海のイスパニョーラ島(現ドミニカ共和国)で生まれます。フランス帰国後、古典主義の巨匠、アングル門下に11歳で入門を許可された早熟の天才で、「やがて絵画のナポレオンになる」と将来を期待される存在でした。
ですが、後にアングルと対立するロマン主義のドラクロワに傾倒。その迫力ある色彩や躍動感ある描写を取り入れつつ、独自のエキゾチックで抒情的な表現を追求していきます。
会場風景《泉のほとりで眠るニンフ》は、図像は草上のニンフの伝統を踏まえていますが、生身の女性の色香が写実的な表現から感じられます。モデルは女優のアリス・オジーで、シャセリオーとは2年間交際していました。
展覧会のポスターに用いられた《カバリュス嬢の肖像》は、当時パリで最も美しい女性の一人と言われたマリー・テレーズ=カバリュスを描いた作品です。
テオドール・シャセリオー《泉のほとりで眠るニンフ》1850年、《カバリュス嬢の肖像》1848年26歳の頃にアルジェリアを旅行したシャセリオーは、異国情緒あふれる作品を多く描くようになります。
当時、アルジェリアがフランス領になったこともあり、多くの画家が北アフリカを旅し、作品を描きましたが、特に母子を中心にした家族の風景を多く描いたのはシャセリオーの特徴です。異国生まれで、家に不在がちであった外交官の父を早くに亡くしたことが、シャセリオーの作風に影響したと言われます。
「4 東方の光」会場風景、テオドール・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》1851年、「5 建築装飾━寓意と宗教主題」会場風景シャセリオーは会計検査院の階段室壁画を描いていますが、1871年に起きたパリコミューンで会計院は破壊、壁画もほとんどが燃えてしまいます。現在は残された記録写真や、救出された壁画に基づくタピスリーなどから、当時の面影をしのぶしかありません。
37歳で早逝、そして代表作の破壊により、表舞台からは姿を消すシャセリオーですが、モローやシャヴァンヌなど、次世代の画家たちに大きな影響を与えました。展覧会にはシャセリオーから影響を受けた画家たちの作品も展示されています。
シャセリオーは作品数が限られるため、本国フランスでも1933年と2002年に回顧展が開催されただけ。日本で大規模な展覧会が開かれる機会は大変まれなことと言えます。巡回はなく東京展のみの開催です。
[ 取材・撮影・文:川田千沙 / 2017年2月27日 ]■シャセリオー展 に関するツイート